今よりも百年前、歴史的な革命を目前にひかえた激動のロシア。 その辺境の森で、孤独に暮らすものたちがあった。 人間によって野生の誇りを奪われ、捨てられたオオカミたち。 そして、そんなオオカミを救い、自然に還す「オオカミ預かり人」である。
少女フェオは、厚い雪と氷とに閉ざされた森の奥深くで生まれ、そして育った。 家族は、「オオカミ預かり人」である母と、人に追われて森にやってきたオオカミたち。 きびしい自然と、ときに戦い、ときに寄り添い、フェオたちは平穏に暮らしていた。
そんなフェオたちのもとに、ある日、帝国陸軍の兵士があらわれる。 凶暴なオオカミを助けるフェオたちの存在をききつけ、罰しにやってきたのだ。 銃を持ち、暴力をふりかざす男たちと懸命に戦い、オオカミと共に逃げるフェオ。 しかし、騒動のなかで母がとらえられ、家も燃やされてしまう。
一頭のオオカミは撃たれて血を流し、一頭のオオカミは殺された。 家をなくし、家族を奪われた悲しみにうちひしがれながらも、しかしフェオは立ち止まらない。 兵士たちに捕まった者は、サンクトペテルブルクにある刑務所に入り、裁判を受け、労働キャンプに送られることになる。 囚われた母を救うため、フェオはオオカミの背に乗り、サンクトペテルブルクのある北へと進路を取るのだった。 その先に、国家をゆるがす歴史の動乱が待ち受けているとも知らずに――
百年前に起きたロシア革命を舞台に、自然を愛するが人が苦手な少女と、凶暴な野生を秘める気高いオオカミたちが活躍する、壮大なスケールの冒険譚!
オオカミ預かり人という職業と、ロシアの貴族たちにオオカミがペットとして飼われているというのは、架空の設定です。 ロシア革命という史実が背景にある物語でありながら、オオカミにまつわるそうしたエッセンスにより、リアリティとファンタジーとが混じる不思議な読み心地の作品になっています。
この作品では、登場するオオカミたちが、いわゆるマスコット的な描かれ方がされていないところも魅力的。 決して人間とは相容れない野生を秘め、ともすれば固い友情で結ばれた相手に牙を向けることもある。 そういう人間的な部分を持たない獣としてのオオカミだからこそ、そのうえでなお彼らと共に生きるフェオが、とても強くオオカミを愛しているのだと感じることができます。
そして、厳しい雪と氷の大自然に対するフェオの洞察と、彼女がオオカミや雪にいだく愛情も、ぜひご紹介したいみどころのひとつ。
「森は命の気配にふるえ、輝いている。森を通る人たちは、どこまで行っても変わらない雪景色を嘆くが、フェオに言わせれば、そういう人たちは読み書きのできない人たちだった。森の読み方を知らないのだ。(中略)フェオはにっこり笑うと、くんくんと鼻を鳴らし、肌を刺す冷たい空気のにおいをかいだ。『森はこんなにおしゃべりなのにね』」
「フェオは、吐く息がハイイロの鼻にかかるようにした。こうすれば、ハイイロが吸う空気はやさしくて暖かく、体になじんだものになる。そして涙がこぼれないように目を固くつむった。ハイイロは涙が大きらいだ。そして雨も……。好きなのは雪」
おおきな寒さの中に、じんわりと灯る暖かさ。あるいは、火照った皮膚に落ちる、ひとひらの雪の冷たさ。 文体から立ち上がる、そうした温度のコントラストやイメージの美しさに、なんどもハッとさせられ、心掴まれました。
母を追ってフェオの向かうその先にあるものは、いったいなんなのか? さあ、オオカミの背に乗って! 雪原を風のように走り、顔を打つ吹雪に目を細め、あなたもフェオと、氷の旅路へでかけましょう。
(堀井拓馬 小説家)
ロシアの森深く、母親とオオカミたちと暮らす少女フェオ。ある日、残忍なラーコフ将軍が現れ、オオカミを保護した罪で母を連れ去ってしまう。少女はオオカミを連れ、元兵士の少年と共に、母を取り戻すため旅に出る。
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