牛女と呼ばれる大女がいたそうな。「おしでつんぼで、父親知らずの子ども連れていたそうな」。
今日は使用をためらわれる言葉が出てくるのは、それが許された時代だから。牛女というあだ名からして、差別臭がにじみ出てくる。(戸田さんの絵もスゴイ)
可哀想と思うか、薄汚いと思うかはその時代の人間ではないので判らないが、小川未明はそれまでの主人公を作りながら、伝えたいのは「子を思う愛」である。
自分がこんなだから、子どもが哀れでならない。その姿に村人もほだされるのである。
その牛女が、病で死んでしまった。残された子どもは村人が面倒見てくれたのである。
童話は淡々としているが、子どもはどんな扱いを受けたのであろう。
冬になると牛女の幻影が山に浮かび上がる。誰もが、牛女の子どもを思う心を思うのである。
子どもは育ててもらいながら出奔する。さりげないけれど、子どもは村に満足していなかったのである。
子どもが帰ってきた。村を懐かしく思い、感謝の念を持つのは子どもの成長である。
子どもがりんご畑を始めた。
近代文学の立信出世話のようにも思える。
りんごの花が虫にやられて、実ができない。
子どもが母親の法要を行うと、現れたコウモリたちが虫を喰ってくれてりんごが実るようになる。そこに牛女を思わせる大きなコウモリがいたのである。
だらだらしたレビューになりそうだが、私が感じたのは、絵本の背景の時代性である。
多分、今の子にピンと来ない展開なのではないだろうか。
今につながるのは、母親の子を思う気持ち。(是非ともそうあって欲しい)
小川未明の童話は結構重いと思った次第である。