コンクリートの団地育ちの静一が、三週間ほど山のおじいちゃんちに預けられる事になった。
孫である静一なのだが、おじいちゃんにとっては、子供の頃のままの息子『良一』がそこにいるのだった。
おじいちゃんは、生き生きとそして淡々と、息子(孫)に山の中のいのちの流れを教えていく。
おじいちゃんの手によって、イタチのいのちが魂に変えられる。
生きていく為に、生きているもののいのちをもらう。
ライオンが鹿に飛びかかり、その肉をむさぼり食う姿を、残酷だと目を覆いながら見る私達も、豚や牛や魚や植物を食って生きています。
でも普段私にとって、自分が食べている動物の命を奪う場面にかかわる事は、めったにありません。
最初からそれらは食品であり商品としての形をしています。
関心があるのは、美味しさであり値段であり、もともと命ある身であった事に思いが及ばなくなっています。
「良一、生きているものは悲しいなあ。死ぬまでびくびくしてなあ。こいつきっと怖いんだろうなあ」
イタチのいのちを奪って、その身をナイフに掛けていく祖父が、1番イタチのいのちを哀れんでいるのだと思います。
そして、初めて接したいのちのさだめに対し、静一はまっすぐに向かい合い受け止めていきます。
登場人物の感情を説明するような文章はほとんどないにもかかわらず、場面場面の気持ちが手に取るように伝わってきます。
言葉の一つ一つにいのちや自然に対する敬意が満ち溢れています。
何度も読み返すことで、よりいっそう理解が深まると思います。