偕成社版いわさきちひろさんの絵による「りゅうのめのなみだ」と読み比べ、結局こちらを読み聞かせました。
いわさきちひろ版は、はみ出すほどのレイアウト力で絵の力強さがあり、
龍の顔と子どもの顔の近さ、
ほぼ子どもと龍の主役2人のみで進行する対象物のわかりやすさ、
また、その大きさ・色彩の多様さは圧倒的です。
が、ただ1点だけ、
子どもや親の装束が清朝時代のもので「日本」を感じられなかったため、やむなく植田真氏の絵本にしました。
こちらは静かな本です。
美しい表紙の絵。
最終的に人の心に残ったことがどんなものなのか、は形として確認できないため、絵本を読んだことによる影響は、その結果を測ることができません。
何度も開こうとは思わない本です。
1枚だけを額に入れて飾るなら、イメージ喚起のためには秀逸かもしれません。
集英社さんは空間の広がりを大事に構成されたのかもわかりません。
龍の空を舞う勇壮さを見開きで表現するのに、空の大きさを重要視されたかったのかも。
同社のいろいろな出版物に植田氏のイラストを採用されている故、「この流れで行こう」みたいな戦略があるのかもしれません。表紙はつかみとしてすごくインパクトがあります。
でも子どもの顔が見えない。
というか、ない。
読み聞かせるにも見ている多くの子が人間を人間として認識できない。
大型本なのに。
主役は絵本の中の「子ども」、なのでは?
恐ろしい(と思われている)龍の大きな顔に、
頓着せず近づける無垢な瞳との対比、その2人の距離にこそ
主人公の子どものすべてを理解する力があるのだと思っていたのだけれど…。
白壁の家は東欧のイメージ?
無国籍な街並みは 場所を特定しないため?
どこの人たち?
これは、どこのお話?
語り口だけが、原作に忠実な言い回し、濱田廣介氏の世界観は残っているのです。どんな人に読んで欲しいのでしょうか・・・
日本の民話や昔話をどんな映像で見せるか、について グッっと考えさせられた絵本でした。
同時に、自分は一体「絵本」に何を求めているんだろう、ということも。
いっそ、ネバーエンディングストーリーのファルコンやロード・オブ・ザ リングのドラゴンに、のび太くんが怖がらずに近づいて♪という展開なら納得できたのでしょうか。