「壁」とは私にとって、いったい何だったのだろう。
生まれた時から、当たり前のようにそこにあって
風や雨や、恐いものから守ってくれた。
幼い頃はボールをぶつけたり、よじ登って遊んだけれど
物心がついたら少しジャマになった。
他の壁がうらやましくなって
見向きもせずに散々ほったらかしにして
しまいには汚い言葉を吐き散らした。
あんなに支えてくれたのに
いつも見守ってくれていたのに
お礼を言おうと思ったら姿がなくなっていた。
失って初めて気がつく、ありがたさ、淋しさ、後悔、愛。
私にとってその「壁」は、
4ヶ月前に他界した父だった。
「そっとささえてくれた
なにもいわずに ずっと そばに いてくれた」
壁の前で会話が始まる時、
読者はきっと誰かの顔を思い浮かべる。
「もくひょうだったんだ」
「いのちのおんじん」
「あなを つくってしまったんだ」
登場するキャラクターが思い出を語るたび、
読者の心にも喜怒哀楽が蘇る。
「みんなと あわせてくれて ありがとう」
私は、同じ言葉を亡き父に伝えていた。
父のために集まってくれた人々、
父が亡くなってから出会った人々、
父がいたから出会えた人がいる。
「さいごに おわかれと
ありがとうの ハグをしよう」
それぞれの思いで「壁」とお別れをする。
それは、人なのか、物なのか、思い出なのか。
「壁」との別れは、過去の自分との別れだ。
「かべが とりになって
おおぞらへ はばたいていきました」
「さようなら」
お別れのはずなのに、清々しい。
前向きな気持ちが感じられる。
私もまた、少しずつ歩んでいく勇気をもらえた。
ただひとつ、
結末の見開きの「記念撮影」は興ざめだった。
「壁」とお別れをして、各々の道を歩んでいく、
そこにはもう心の絆があるはずなのに、
なぜ写真を撮るのだろう。
「壁」という形のあるモノが、
鳥となって羽ばたいて消えていったのに、
なぜ写真というモノを残すのだろう。
消えた「壁」の向こう側には、
一面の草原が描かれていたけれど、
この風景は読者の想像力に任せて欲しかった。
壁の向こう側には、皆それぞれの思いがあるはずだから。
全体として、絵のアンニュイな雰囲気は、
静かに流れる物語と合っている。
ただし、理由のない形や表情のキャラクターが、
詩的なストーリーの妨げになっている。
抽象的なレベルまで昇華させた挿絵の方が、
より深みのある作品になるかもしれない。
「壁」のように姿が消えても、
心に残る一冊。