いくつもの絵本、紙芝居を見てきて、やはり最終的に戻ってきたのがスベン・オットーが絵を描いた絵本でした。
みにくいあひるの子が、実は白鳥だったという結末は、多分周知の本筋でしょう。
その結末を美しく演出するために、多くの絵本、紙芝居は、みにくいあひるの子が、どのような経験を過ごして、白鳥であることに気づくことができたのか、アレンジによってその凄さを薄めているのです。
いじめられ、迫害され、みにくいあひるの子は、氷に閉じ込められて死の寸前だったところを助けられたのに、パニックを起こすまでのトラウマを抱えてしまします。
「どうか私を殺してください」とまで、思い込んでしまったあひるの子は、信じられない幸福を手に入れることが出来ました。
結論を知っているからこそ、安心してみていられる展開です。
でも、このお話の中に、姿形でこれほどまで苦しむ人間の姿を感じる取ることができます。
醜いあひるの子は白鳥でした。
醜いままのあひるの子だったら、救われないのでしょうか。
そもそも容姿だけではなく、様々な要因で差別される人たちに対する思いやりに欠けたお話なのです。
みにくいあひるの子に対して、「良かったね」で終わらせるのではなく、丸ごと受け入れる社会を考えなくてはいけないと思います。
ノーマライゼーションを考えることの重要性を再認識しました。