読後2週間、、レビューを書こうという気になれませんでした。
このお話の先に希望が思い描けなかったからかもしれません。
冷戦終結後、“民族主義”を抑圧し民族を超えた統一を守ってきたユーゴスラビアの存在意義に疑問がもたれるようになり、ボスニア・ヘルツェゴビナは独立しました。
ところが、長い歴史の中でボスニア・ヘルツェゴビナには、セルビア人(ギリシア正教徒)・クロアチア人(カトリック教徒)・ボスニア人=ムスリム人(イスラム教徒のボシュニャク人)が、混在しています。
この国に内在する民族・宗教・政治問題は、一言で片づけられない根深いものがあります。
このお話は、1992〜95年の内紛まっただ中の様子です。
「民族浄化」という言葉が、ニュースに流れた記憶がよみがえってきます。
主人公のアリージャの住むボスニア・ヘルツェゴビナの僻村リツター。
そこに、流れてきた瀕死の老人の犬を、老人の死後こんな状況の中アリージャのお父さんは番犬として、迎い入れてくれます。
まもなく、アリージャの村も内紛の火の粉が降りかかるようになり、お母さんと避難の移動の途中、悲しい出来事が…。
“ぼくの”というタイトルがしみてくるラストでした。
一人残ったアリージャの唯一の心のよりどころはこの“犬”であったと思います。
今日もまた、たくさんのアリージャが、世界のどこかで涙を流していることを思うとやりきれない気持ちです。
中学生以上の方々にも読んでもらいたいと思います。