私のイメージする河童は、尻子玉を抜く妖怪である。
尻子玉を抜かれた人間は、力が抜けてしまったり、生きることが出来なくなるらしい。
怖いもの知らずの幼い頃、私はよく一人で川で遊んだ。
「河童に尻子玉を抜かれるぞ。」と誰かに言われた。
カッパーノもおそらく河童だと思われる。
人の魂(尻子玉)をもしかしたら川で「さらった」過去があるかもしれない。
そんなカッパーノの「さら(魂のようなものだと考える)」が、カラスに「さらわれて」しまった。そして「さらがわれ」てしまう。
大切なものが突然何かによって「さらわれて」しまうこと。
言語、国、大切な人、居場所……。
戦争や災害や事故や病気などによるかもしれない。歴史の中でも、現在でも、何かしら思い当たる事はあるのではないだろうか?
カッパーノがたどり着いた「まちのひろば」の絵には、死と生、悪と善のような影が描かれている。その狭間のような場所で、人の魂をさらってきたかもしれないカッパーノが、その 人 によって新しい魂(フライパン)をもらって復活する。
フライパンは、命を料理する道具である。
カッパーノに触発された仲間たちは、頭に乗せるものを変えた。それらは、何かしらの命を受け入れる事の出来る深い器のように見える。
カッパーノとカラスは、お互いに命を与え、受け入れる存在になっていくのではないだろうか。
カッパーノのフライパンに乗るカラスの絵を見てそう思う。
さらわれたものは、違う形の命になってめぐっていく。
視点を変えれば世界は変わっていくはずだ。