ちょっと小耳にはさんだのですが、「あおくんときいろちゃん」より「あおくんときいろくん」のほうが、厳密にはより忠実な訳なのだそうですね。でも、私には、この日本語訳のほうが、よりいきいきとした想像が膨らむ気がします。同じレオ・レオニ作の「アレクサンダとぜんまいねずみ」のような同性同士の友達関係よりも、異性同士の夫婦関係を思わせるからです。あおくんときいろちゃんには、夫と私の若かりし頃の出会いを投影させたくなるのです。お母さんの言いつけに背いても、きいろちゃんに会いに行ってしまうあおくんには、私が結婚前の夫に抱いていた思いを見出すことができます。どんなことがあっても会いたいという思いです。そして、理解してもらえず、泣いて泣いて泣きまくってしまうところも。ところが、あおくんときいろちゃんは、合体してみどりになります。私には、これは私たちの間に娘が生まれたことを思い出させます。かわいいかわいい娘。みどりの子が泣くと青と黄色に戻ってしまったように、夫と私のどちらの遺伝子も受け継いでいるのです。
ただの色の合成という自然科学的現象でもって、こんな深い人生の真実を表現できているところがすごいと思います。絵柄も、抽象的なのに、とてもいきいきとして、あおくんときいろちゃんが本当に人間の子供のように動き回っているさまが目に浮かんでくるようです。
学校帰りに友達と遊びほうけてしまうあたりは、とても子供らしくて、個人的に大好きくだりですが、具象的な人間の子供のキャラクターと変わらない存在感だと思うのです。こんな斬新な描かれ方をした子供は、この本の出版後となる現在にあっても、そんなにないのではないでしょうか。私は、これが世界的絵本作家であるレオ・レオニがキャリアを出発させた作品として、最高の出来であると思います。この本のアイデアは、孫たちと遊んでいたときに訪れたそうですが、こんなすばらしい第一歩をしるせたレオ・レオニは、やはり天才であり、何と幸福な人であったろうと、うらやましく思います。