チェルノブイリの子どもたちの絵や気持ちが描かれた『いきていたい』という絵本があります。
その『いきていたい』を福島原発事故後読んだ私は、チェルノブイリから何も学んでこなかったことを悔しく思い、それまで無関心であったことを恥じました。
そしてこの『福島の子どもたちからの手紙』です。同じ日本国内で今まだ起こり続けている出来事でもあり、何もできない歯がゆさ、無念さ、子どもたちの思い、子どもを見守る親の気持ちなど、いろいろなことをこの本を読むたびに思い、何度開いても涙で字がにじむのです。
表紙にも「何さいまで生きられますか?」「僕は大人になれますか?」とあり一つひとつの言葉が胸をつきます。
「わたしの夢は去年と全くちがいます」の言葉を読んだ時にはこんなことを思いました。
子どもが生まれた時、まだ育ちゆく時に、大人である私たちは子どもの無限の可能性、その今後の命の長さを思うものです。
放射能という目に見えないものに、自分の存在を脅かされる、子どもたちがそのような状況におかれること、そんなことは本来あってはならないことです。
自分の子どもたちだげなく、福島の子どもたちのこと、被災地の子どもたちに思いを馳せることを私たち大人は忘れてはいけないし、何かできることをし続けていなかくてはいけないのだと思います。
こんなことを書いている私も何ができているかと問われればとても心もとないのですが、自分にできること、福島の子どもたちへの支援を細く長くでも続けていきたいと思いました。