赤羽さんのエッセイと共に今作品を一つ一つ読み直しているところです。
赤羽さん、「鬼の赤羽」と呼ばれていたそうで、鬼が登場する絵本が多いそうです。
『鬼ぞろぞろ』『だいくとおにろく』など、あれもこれも鬼だなあと思い返していました。
残酷な昔話と言われるこのお話も、ひょっとして狸のひどすぎるいたずらは心の鬼のなせるわざではないかと思えてきたのです。
おじいさんに代わって復讐をするうさぎは、言うなれば復讐の鬼。
最初にしかけた狸の心の鬼は質の悪いものだと思いますが、やられたら同等以上の復讐心でやり返したいと思う心の業もやはり心の鬼かもしれないと。
そう考えてみると、誰にも眠る心の闇がそのまま昔話になったような気がしてきます。
ワンダ・ガアグが、『100まんびきのねこ』が残酷であるといった批判に、現実の方がずっと残酷だと言ったことを読んだことがありますが、
現実に起こることは、この昔話よりも残酷であることを考え合わせると、
この昔話の存在意義というのか、心の中で消化しきれない不条理を、昔話に転嫁されることで、昇華させてきたのではとも思えてきました。
赤羽さんの絵本は、余白を大切にして生々しくは描かない昔話絵本の良さがあると思います。
改めて読み直してみて、今までとは違った感じを持った一冊でした。