子育てをして、挨拶よりも教える事が難しかったのが、“分け与えること”。
挨拶がそうであるように、親が率先して“分け与えること”を示して見せたのですが、現在の息子を観察すると、あまり成功していなかったような気がします(笑)。
どこの家庭でも、生まれてきた子はその瞬間から家の中心になり、その笑顔見たさに親ばかりか周囲の大人までが与えられるもの全てを与え、子どもは与えられ慣れた果てに独占欲だけが育ってしまっている感があります。
海で唯一美しいうろこを持つ存在として、周囲からの賞賛に自尊心をくすぐられ喜んでいたにじうお。
うろこを分けてくれと懇願され、にべもなく断ります。
“美の玉座”が揺らぐとでも思ったのでしょうか。
このにじうおの料簡の狭さが、かつて彼を賞賛していた仲間の心を離れさせます。
初めて、にじうおは「幸せ」を失ったことを実感したのです。
「幸せ」を取り戻す方法を賢いばあさんたこにアドバイスされても、思い直そうとしないにじうおに、私の中にもある欲望の根深さのようなものを鏡で見せ付けられているようでした。
ところが、この後思いもよらぬ展開で、にじうおが襲われた“不思議な気持ち”。
これこそが「幸せ」でした。
“分け与えること” が“喜びを分かち合うこと”に。
“喜びを分かち合うこと” が「幸福」なのだと私たち親子は読みました。
みんなが一枚ずつ“きらきらうろこ”を身にまとい、ニコニコ集まっているラストのページで、「よかったね〜」という言葉がお子さんから出れば、きっと伝わっていると思います。