男の子にとって父親というのは特別な存在かもしれません。
川べりで二人(といってもクマのお話ですから二頭です)並んで釣をしているクマの親子。
息子がいう「おとうさんはどうしてぼくのおとうさんなの?」という質問から、父と息子の面白い会話が始まります。
男の子にはお母さんは自分を生んでくれたから母親としての実感があるようですが、父親となればなんだか怪しい。その上の質問です。
父親は「おとうさんとおまえのかおがにているから」と、これはちょっと苦し紛れかも。
だったら、自分にそっくりな子がいてもお父さんの子だとわかるの、って息子は追いかけてくる。
さあ、お父さんはどうする?
この絵本を読みながら、クマの親子のように父と並んで釣りのような、釣りでなくてもいいのですが、何か遊びや会話のようなものがなかったなと、少し寂しく、それでいてすでに父はなく、父もまたそんな会話をしたかっただろうかと思ったりしました。
趣味といってなかった父、話すのが苦手だった父、誰にも父がいて、その父はいろんな表情をもった父で、いってみれば自分一人の父にちがいない。
クマの息子はまだ小さいけれど、すでにおとうさんとたくさんの思い出を持っています。
そして、こうして二人(二頭?)で並んで釣りをしてこともまた新しい思い出になっていく。大きくなって、並んで釣りをすることなんかなくなるかもしれないけれど、きっと男の子はこの日のことを忘れないでしょう。
お父さんもまた。