わが子を思う母の気持ちを、しみじみと絵本『ちいさなあなたへ』。2008年の発売以来、衰えを見せることなく版を重ね、早くも50万部にせまる勢いなのだそうです。発売から4年たった今、『ちいさなあなたへ』の新たな魅力、人気のワケを、翻訳を担当された、なかがわちひろさんに伺いました。
- ちいさなあなたへ
- 作:アリスン・マギー
- 絵:ピーター・レイノルズ
- 訳:なかがわ ちひろ
- 出版社:主婦の友社
「あのひ、わたしは あなたの ちいさな ゆびを かぞえ、 その いっぽん いっぽんに キスを した」ではじまるこの絵本には、母であることのすべてがつまっています。親でいることの喜び、不安、苦しみ、つらさ、寂しさ、子どもへの思い――普遍の真実が、あたたかな絵とシンプルな言葉で語りつくされ、読む人たちの涙をさそいます。だれもが一生の宝物にしたくなるような絵本です。
● こんなに多くの方から反響をいただけるなんて思いませんでした。
─── 『ちいさなあなたへ』を私が最初に読ませていただいたのは息子が4歳くらいのときでした。4歳ってすでに赤ちゃんの時期を過ぎて、子どもじゃないですか、でも『ちいさなあなたへ』を読んだとき、息子が生まれてからそれまでの4年間、さらにこれから成長する息子のことを考えて…、もうたまらなくなってしまったんです。
そう言っていただけると、とっても嬉しいです。
でも発売した当初は、正直、こんなに多くの方に愛される作品になるとは思ってもいませんでした。
─── そうなんですか?
最初は、この本の読者は40代〜50代の女性だろうと思っていたんです。子育て真っ盛りのママたちではなく、子どもが自立をはじめたり、子育て完了した頃の女性にぐっとくる本かなと。
でもそういう年代の方々が絵本売り場にいき、自分のために絵本を買うかしらとも思い、売れ行きにはまったく自信がありませんでした。でも、それは嬉しい誤算でしたね。日本での発売直前に、アメリカですごく売れているというニュースが伝わってきて驚いていたら、日本でも10代から80歳代までの、じつに幅広い年代の多くの方から、お葉書をいただくことになりました。
─── 絵本ナビでも、多くの方がレビュー投稿してくださっていますよ。特に、新米ママさんからの共感の声が多いように感じています。なかがわさんの所にもたくさんの感想が寄せられたと伺っていましたが…。
そうですね、私が特に驚いたのは、小さな赤ちゃんを育てているママさんから「すごく癒されました」「この絵本と出会えて、今を大事にしようと思いました」というようなお葉書を沢山もらったことです。「若いお母さんたちは、こんなに追い詰められていたのか…」と切なくも感じました。
なれない育児によるストレスや、外との関わりを断つような子育ての閉塞感、社会から切り離されたと感じる孤独があるのだと思うんですが、絵本を読んで、ご自身が日々やっている家事や育児の尊さを認識しなおすきっかけになれば、とても嬉しいです。
─── なかがわさんが『ちいさなあなたへ』を翻訳することになったきっかけを教えてください。
毎年3月ごろ、イタリアにあるボローニャという小さな都市で、世界最大規模の絵本のブックフェアが開催されるんです。そこには各国から出版社が出展して、翻訳の権利交渉をしたり、新人絵本作家さんの登竜門的な原画展コンクールが開催されています。
日本からも多くの出版社や絵本に興味のある方が参加されるのですが、2007年に主婦の友社のHさんが訪れて、そこで『ちいさなあなたへ』の原書となる Someday と出会いました。
まだアメリカからも絵本が出ていなくて、「プルーフ」というカラー校正紙の状態だったんだそうですが、それを読んだHさんは感動でむせび泣いて、そのままレジに走った…というのは私の作り話…(笑)。
でも、とにかくすごい勢いで、日本での版権を取り付けてきちゃったんです。
─── それで、なかがわさんのところに翻訳の依頼が来たんですね。
そうなんです。Hさんから、「私は好きな作品なんですけど、大人向けの絵本なんです。読んでいただけますか…」と、とても控えめなオファーをいただきました(笑)。
─── なかがわさんはこの絵本以外にも、「おばけのジョージー」シリーズや、『おもちゃびじゅつかんでかくれんぼ』(共に徳間書店)など、多くの翻訳絵本を手がけていますが、『ちいさなあなたへ』を翻訳する上で、苦労などはありましたか?
私は翻訳をするときに、疑問を抱いた部分があると直接、書いた本人に聞くことにしているんです。メールで細かいニュアンスについてもやりとりをし、内容によっては、著者の遺族や出版社の方にも質問します。
『ちいさなあなたへ』は、絵をみると母と娘のおはなしですが、文章そのものは、息子とも娘とも取れるニュートラルな表現だという印象を受けました。そこで、アリスン・マギーにそう訊ねたところ、彼女自身、子どもの性別を意識しないで書いたというんです。なので、私も子どもの性別を限定しないように翻訳をしました。だから、男の子のお母さんもウェルカムですよ〜(笑)。
それと、原文の詩は常に Someday〜(いつの日か) からはじまっているのですが、そのまま直訳すると、単調で読みにくい文章になってしまうんです。そのため、直訳から多少逸れたとしても、作品が読者に伝えるはずの思いを日本語で感じとっていただくにはどうしたらいいか…を考えました。直訳が必ずしも正しい翻訳にはならないところが、翻訳のおもしろいところで、私は「不実な忠実」と呼んでいます。
─── 文章が手書き風に描かれていることや、絵に合わせて文章が流れている部分がとてもステキに感じました、この部分も原書と同じなんですか?
文章は原書になるべく近い配置になるようにしました。ただ、どうしても文節の区切りであったり、訳したときの文章量などで、位置を変える必要があるものもありました。最初は大人向けの絵本だから、漢字を使おうかと考えたんですが、絵と文を組みあわせてみたら、ひらがなの方が素直に訴えてくるものがあり、ひらがなのみの文章になりました。あ、あと、これは「手描き風」じゃなくて、ほんとに手描きの文字なんですよ。ふつうの女の人が日記を綴るような文字でと、デザイナーさんにお願いして書いてもらいました。やはり人の手によるものは、あったかみが違うんですよね。
左:日本語版
右:英語版 文字の位置が変わっています。
─── なかがわさんの中で、特に好きなページはありますか?
「あなたも みずに とびこむだろう」という詩が表現としてとても好きですね。飛び込んだときの、皮膚に当たる水の感触や冷たさの鮮明さは、思春期の感受性をとてもリアルに表現していると思います。アリスンの書く詩は、五感にまっすぐ訴えてくるんです。