「お母さーん、ことらぜんぜん食べてないよ」
「ことら」は、小学四年生の一真の家で飼っている猫。年は十六歳。お母さんが言うには、人間でいう八十歳くらいのおじいちゃんらしい。 ちょっと前までことらはすごくいたずらでタンスや机の上にぴょんぴょん飛びのっていたのに、最近は机の上にもタンスの上にものらなくなった。おまけにぼくの部屋に来ても、ベッドの上で丸くなって眠っている。そして、突然エサをあまり食べなくなった。好物の焼きのりをドライフードにかけると少しは食べたけど半分くらいだけだった。食欲がなさそうだ。
一真が学校から帰って来ると、ことらが足を投げだして床の上でぐたっとしてる。 こんなことら、見たことがない。
お母さんと一真は病院に連れて行くことにした。向かったのは新しい動物病院。建物も設備も最新だ。壁には『滝沢動物病院 高度医療センタースタッフ』と名前が張り出されていて、高度医療を受けられる病院らしい。 ことらは検査の結果、腎不全という病気だった。高齢のねこには多い病気らしい。ただ腎臓というのは、一度こわれると治らない臓器なのだという。
ことらはいつか死んじゃうのかな。そんな日、ずっと来なければいいのに。
これは、一真くんのうちのねこのはなし。けれども動物と暮らしているいないに関わらず、誰もが経験するであろう命の問題を描いたおはなし。ともするととても重い内容なのに、そこここにあたたかさが充満していて、とても読みやすい。このあたたかさを醸し出しているものは何だろうか。それは、一真の家族がそれぞれに真摯にことらに向き合う、深い愛情を感じるからではないだろうかと思い当たった。一真は、お母さんとお父さんが、それぞれに動揺しながらもひとつひとつ対処していく姿を観察していく。仕事で忙しい中、ことらをちゃんと病院に連れて行ってくれたり、家での点滴にも挑戦してくれるお母さん。おじいちゃんの話を出して、命の問題の難しさについて一真にも理解できるように説明してくれたり、単身赴任中なのに突然帰ってきてしまうお父さん。 さらに、一真の視線を追っていくと、くすっと笑わせてくれる場面まで登場する。たとえば、最初は病院でことらの「おかあさん」と呼ばれてぎょっとしていたのに、いつの間にかことらに自分のことを「お母さん」と言ってしまっているお母さん。「ことらー、ごはん食べないんだって? こまったねえ?」なんてことらに話しかける体格のいいねこ好きの獣医師‥‥‥。こんな風に本書にはあたたかさが充満している。
一方でことらの治療が進んでいく様子や体が衰えていく様子は、とてもリアルだ。ノンフィクション作品以外で、こんな風に命の問題をリアルに描いたおはなしがこれまであっただろうかと思う。たとえば、治療費の問題や延命治療の話。避けては通れない切実な話題にもしっかり触れているからこそ、心に強く響いてくるものがある。
さまざまな状況におかれた子どもの繊細な気持ちを掬い取って描き出し、数々の児童文学賞を受賞されてきたいとうみくさんの命のおはなしは、決して大げさではなく淡々と、子どもたちが自然に理解でき、さらには希望を感じさせてくれる方法で手渡してくれる。さらにイラストレーターの祖敷大輔さんの挿絵がどっしりとしていて、安心感を与えてくれるから、読んでいてなんだかほっとする。祖敷さんが描くことらの姿はのびのびとしていて、どっしりしていて、ものすごく可愛らしい。
「命の問題に正解も不正解もきっとないと思う」 一真くんにそう語るお母さんの言葉が心に深く残ります。
(秋山朋恵 絵本ナビ編集部)
―命の問題に正解も不正解もきっとないと思う
ぼくんちの猫・ことらは、16歳。ぼくが生まれる前からうちの家族だった。そんなことらは、最近様子がおかしいんだ。好物の焼きのりも、ドライフードも食べなくなって……。お母さんとことらを病院につれていったら、先生は「治らない病気です」って言うんだ。ほんとうに、ことらはいつか死んじゃうのかな。そんな日、ずっと来なければいいのに。
少年と猫の物語を通して、「命」と「家族」の問題を読者に問いかける児童文学。
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