横浜市の静かな住宅街の一角に慶應義塾日吉キャンパスはあります。 その地下にはいまも、旧帝国海軍連合艦隊司令部などがおかれた巨大地下壕が眠っています。 アジア・太平洋戦争末期、海軍は連合国軍の空襲や本土上陸にそなえ、その司令部を日吉キャンパス地下において、連合国軍と戦う決意でした。 今日、この巨大地下壕はそれを具体的に現した「モノ」として歴史の「証人」としてもの姿を遺しています。 戦後も80年近くなり、戦争の記憶を伝える手段は「ヒト」から「モノ」へと移行してきています。 大学のキャンパスになぜ、どうしてこの海軍司令部の地下壕がやってきたのか、そこで何が行われたのか……。 証言や資料をもとに、さまざまな角度から検証します。
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