首里城地下の日本軍第32軍司令部の真実
2019年10月の火災で焼失した沖縄・那覇の首里城。 焼けたのは平成に再建されたもの。 だが、首里城が失われたのはこれが初めてではない。 民間人含む20万人もの犠牲を出した第二次世界大戦の沖縄戦では、日本軍第32軍が首里城地下に司令部壕を構えた。 抗戦の結果、米軍の猛攻で城は城壁含めほぼ完全崩壊し、古都首里もろとも死屍累々の焦土となった。 ならば、令和の復元では琉球王朝の建築だけではなく、地下司令部の戦跡も可能な限り整備、公開し、日本軍第32軍の戦争加害の実態と平和を考える場にすべきではないか? この問題意識から沖縄戦史研究者が、日米の資料を駆使して地下司令部壕の実態に迫る。
◆目次◆ プロローグ 首里城と沖縄戦 第1章 第32軍地下司令部壕の建設 第2章 米軍の第32軍地下司令部壕作戦 第3章 米軍が見た第32軍地下司令部壕 第4章 日本軍にとっての地下司令部壕 第5章 首里城地下司令部壕の遺したもの エピローグ 戦争の予感と恐れ
◆著者略歴◆ 保坂廣志(ほさか ひろし) 1949年、北海道生まれ。 琉球大学法文学部元教授。 沖縄戦を中心とした執筆、翻訳を行う。 『戦争動員とジャーナリズム 軍神の誕生』(ひるぎ社)、『硫黄島・沖縄戦場日記』(紫峰出版)など、共著に『争点・沖縄戦の記憶』(社会評論社)などがある。
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