神社の境内の楠の根もとに捨てられた雛人形たちは、満月の夜、うろの中の海に消えていきます。表題作のほか4編のファンタジーは、山陰の故郷の町を舞台に紡ぎだされたもの。
長谷川摂子さんの著作を読む機会があり、一か月ほど長谷川さんの方を読んでいました。
長谷川さん、どちらかというと絵本イメージが大きいのですが、この本は子どもの頃の不思議な体験について描かれた短編童話集です。
読みながら子どもの頃の記憶には楽しいものもあるけれど、不思議な出来事や怖い出来事も蓄積されるということ、子どもの頃には、言葉にすることができなくてもその機が熟した時、つまり言語化できて消化できるような頃になると言葉が紡ぐように出てくるのではないかということを思いました。
どの作品も心に残ったのですが、最後のお話「歓喜の宴」が特に印象に残りました。
私の家に一夜の宿を求めてきた三味線弾きのお話です。
その頃には、身元の知れぬ旅人を止めるためにお寺のお堂があったんですね。
家には泊めることはなかったけれど、お堂に泊まった三味線弾きから私は不思議な話を聞くのです。
三味線弾きは800歳で未だに死ねないと言うのです。
嘘とも本当ともつかないこのお話、所帯を持ったこと、何かの形で婚家を追い出されるように出たことは本当のようでした。
死ぬことができずに流浪の旅をするというのは、切ないものがありました。
でも、人生というもの、必ずしも明るい楽しいことばかりではなく、むしろ哀しい切なさというのは、誰にでも秘めているものなのかもしれないと思うのです。
そういう意味では、とても切なく胸に迫ってくるものを感じました。
「椿の庭」に出てくるきみじょっちゃんという昔亡くなった子どもの話は、同じ頃「グリーン・ノウの子どもたち」を読んでいたせいか、日英の国の違いはあれ、亡くなった子どもたちが自分の住み慣れた場所を離れずに今でも時々遊んでいるところなどが似通っている感じがしました。
歴史のある古い場所には、あの世とこの世の境目のようなころがあり、そこを行き来できるというようなことがあっても不思議ではないと思えました。
絵本での長谷川作品しか知らなかったですが、この作品を読んでこれは長谷川さんの代表作だと思いました。 (はなびやさん 40代・ママ 男の子8歳)
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