「生きているということ いま生きているということ それはのどがかわくということ 木漏れ日がまぶしいということ……」40年以上前につくられた詩「生きる」には、私たちの日常の様々な風景がつづられ、そのひとつひとつがまさに「生きる」ことなのだというメッセージがこめられています。その詩に誠実な画家が絵を描き、静かで力強い絵本ができました。
退職された先生から、娘へのプレゼントに、送っていただいた本です。
谷川俊太郎さんの「生きる」という詩に、なつかしい昭和の風景を思い起こさせるような、ノスタルジックな絵が添えられ、1冊の絵本になりました。
6年生の国語の教科書にも載っているそうですが、私はこの詩を知りませんでした。
昆虫など小さな生き物の命を大切にされる先生は、娘へのはがきにも、真っ先に、「表紙を開いたら、アブラゼミが出ていて、驚きました。」と記されていましたが、最初に読んだときは、言葉にばかり心が行き、風景の中のセミの上をすっと素通りしていました。
2度目に読んだのは、その数日後、家で飼っていたカメが死んだ日のことでした。
命の終わりはこんなにもあっけないものなのか・・・。なんてはかない命なんだろう・・・。
たかが一匹のカメの死に、どうしようもないほど涙がとめどなくあふれ、テーブルに置いてあったこの本の「生きる」という文字に、思わず吸い寄せられるように手が伸びました。
1度目に開いたときとは、まるで違って見える景色、そして、感じる空気。
公園の片隅で、じっとセミの死骸を見つめる少年。
この子以外には、誰もセミの死など気づいている人はいません。さっきまでは、木に止まり、声を限りに鳴いていたであろうセミ。
同様に、うちのカメが死んだことなど、世界中の誰も知らず、そのことで悲しむ人も困る人もいません。
生きているということ
いま生きているということ
命の重みがずっしりと手のひらに伝わってきます。3cmにも満たない小さな小さなカメの命が、こんなにも大きかったなんて・・・。
命がつきるということは、動かなくなること。硬くなること。ぬくもりがなくなるということ。
学校から帰ってきた娘に、「生きる」ということを言葉でなく伝えたくて、木の下に埋めたカメを再び手のひらに載せました。
「そのままだね」と、娘は泣きながら、カメの指や顔や甲羅をやさしく撫で続けました。
ほんの数時間前のことなのに、穴の中には、絵本のセミと同じように、すでに無数のアリが集まってきていました。それもまた「生きる」ということ。
いっしょにたくさん泣いた後、たくさん食べて、たくさん笑いました。
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
生きていればこその愛おしい「いま」なんだなあ、と思います。
夜、布団の中で、娘とこの本を読みながら感じた「あなたの手のぬくみ」・・・今こうして手と手を重ね合わせて感じ合える「ぬくみ」を大切にしたい、と心に強く思いました。
(ガーリャさん 40代・ママ 女の子9歳)
|