この物語を読み進めていくうちに、これは、母と私の物語だと思った。あたたかいあかりは母、主人公の女の子は私。読み終わると、申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちで胸が熱くなり、また同時にどうしようもなく切ない気持ちになった。
幼いころはいつも寄り添っていたが、大きくなるにつれ、自分に必要なときだけ頼り、忙しい日々の中では忘れてしまってさえいた。
そんな自分の身勝手さに憤りを覚えたが、同時に、それでいいとも思った。息子や娘にも、そうやって大人になっていってほしい。私のことなどかえりみず、私のことを思い出す機会は、あまりなくていい。
子どもたちが大人になって巣立ってゆくまで、毎日たくさんあかるい笑顔を見せよう。このあかりのように、“いっしょになやんだりまよったりしながらよりそって”、どんなに暗い日でも嵐の夜にも、いつでもやさしくてらし続け、子どもたちの人生を支え続けていけるように。
そんな大切なことを、思い出させてもらった。
『わたしの火もあんな力づよいあかりになれたなら。そうしたらどんなにこの子をはげましてあげられるかしら』と、あかりはちっぽけな自分をふがいなく思うが、灯台のあかりより、月あかりより、女の子のこころのいちばんおくまで、ちゃんとあたたかいやさしいあかりは届いていた。
私も日々の子育てに落ち込まず、自分を卑下するのはやめようと勇気をもらった。