少し前の伊藤秀男さんの講演会で現在この作品の絵を描いているとお聞きしていました。
何度も現地へ足を運ばれたそうです。
3.11の後、思ったことは災害とはごく日常と不思議にも思わずにいた光景や生活が一変してしまうことだと思いました。
昨年、私は仙台空港のある名取市に伺う機会がありました。一面に広がる枯れ草の空き地、津波で一階だけが流されてしまった家、住宅地の中にある仮説住宅、そのどれもからその前にあった生活を思い出させるものであり、そこから感じられる無念さでした。
この絵本は、あの津波で助かった子どもたちがどのようにして逃げ延びたかが描かれています。
電子機器に囲まれた生活の中で、震災前は自然さえも進んだ科学技術で制御できるようなそんな驕りさえあったかもしれず、そんな驕りさえも一気に吹き飛ばしてしまうかのようなとても恐ろしい自然の猛威だったと改めて思います。
カバーに釜石の中学生の言葉が書かれています。その言葉の重みがずんと胸にきました。
これから私たちがどう生きるのかということを災害に遭った遭わないに関わらず、私たち一人ひとりにつきつけてきたそんな災害であったことを今更のように思いました。