吉野弘の「夕焼け」という詩が好きだ。
満員電車の中の風景。お年寄りに席を譲る娘。礼も言わず平然と座る「としより」。駅で「としより」が降りて、娘はまた席に座った。と、別の「としより」が来たので、彼女はまた席を譲った。今度は礼を言われた。そして、その「としより」も別の駅で降りて、娘はまた座った。今度も「としより」が来たが、娘は席を替わらなかった。
「やさしい心の持ち主は/他人のつらさを自分のつらさのように/感じるから。」
そんな少女を見つめている、吉野弘という詩人の心に惹かれる。
電車にはさまざまな人が乗ってくるから、いろいろな心情がうかがえる。
この絵本の乗客たちも、そうだ。
ひとつの長いシートに座っているのは、新聞を読んでいる会社員。膝に猫を入れたバスケットを抱えている女の子。おばあさんは席に正座で眠っている。男の子は本を読んでいる。隣には柔道着を持った体の大きな青年がアンパンを食べている。そして、一番端っこには赤ちゃんを抱いたお母さん。
一人だけ立っている青年は絵を描いているのだろうか、スケッチブックを持っている。
これが全部の登場人物。
「がたたん たん」と電車が揺れると、女の子のバスケットから猫が飛び出した。
男の子が席を立って、猫を抱きかかえてあげる。
「キキキキキーッ」と、今度は電車が急停車。おばあさんの膝から毛糸の玉が転がって。おや、みんなでそれを拾ってあげる。
と、今度は電車の中に小鳥が飛び込んできたぞ。さあ、どうなるのか。
小さなことでまったく知らない人が少しずつ笑顔をかわすようになっていく。
そのたびに絵本の中の人たちに彩色されていくという憎い工夫がなされて、やがて電車は駅に着いて、みんな降りていく。
なんだか楽しそうだ。
ふたたび、吉野弘の「夕焼け」に戻ると、最後にはこう書かれている。
「やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるのだろう。/下唇を噛んで/つらい気持ちで/美しい夕焼けも見ないで。」
この絵本の人たちは、美しい夕焼けを見る人たちだ。