私が育った大阪・岸和田では、「まねしんぼう」のことを「まねしごんぼ」と言った。
調べると、関西のほかの地域でもそう呼んでいたようで、うれしくなった。
「まねしごんぼ、まねしごんぼ」と揶揄するように使っていたように記憶している。
さしずめ、みやにしたつやのこの絵本でいえば、「ぼくのいもうとはまねしごんぼなんだよ」ということになるのだろう。
開いたページの左側に、「ぼく」。右側にまねしんぼうの「いもうと」。
その真似がちょっとどこかおかしいのが、ユーモラスに描かれている絵本。
例えば、最初の真似は「ジャンプ」。
「ぼく」が跳び上がっても、真似をする「いもうと」は全然跳び上がれない。
「ぼく」が「おしっこ」とトイレにいくと、真似をする「いもうと」はおむつの中におしっこをしてしまう。
そんな兄妹の光景が、なんとも微笑ましい。
きっとお兄ちゃんの「ぼく」からすると、真似ばかりする「いもうと」が鬱陶しいにちがいない。
それでも、「さんぽにいってくる」という「ぼく」に、「おさんぽいってくる」と真似しながら、兄の手をぎゅっとにぎってくる「いもうと」がかわいくないはずがない。
ユーモラスな「いもうと」の「まねしんぼう」の姿を描きながら、みやにしはなんとも微笑ましい兄妹の姿を描いている。
そこにみやにしの観察の素晴らしさを発見する。
頭でだけでは描かない世界といっていい。
みやにしの私生活は知らないが、どこかで兄弟(あるいはこの絵本のように兄妹だったかもしれないが)のそんな光景を目にしたのであろう。
絵本だからといって、すべてが絵本作家の頭の中にあるわけではない。
その作品のきっかけになるようなことを、作者は目にし、それを膨らませていったのではないだろうか。
こういう絵本を読むと、兄弟(それは姉妹かもしれないし、この絵本のように兄妹かもしれないし、姉弟かもしれないが)は悪くないと思う。
きょうだいがいることで、多くのことを学ぶことがあるのだろう。
もちろん、時には嫌なこともあることを、三人兄弟の次男坊である私は知ってもいるが。