富士山を見て、嫌な気分になる人はいないだろう。
多くの人は富士山を見たら、思わずニッコリするのではないか。
私など今でも新幹線に乗れば、富士山を見ようと横浜を過ぎればソワソワしている。万一、見損なえば、一日損した気分になる。
朝起きて、ベランダから富士山が見えると、なんといい景色だろうとつい柏手をうつ。
ちなみに私は埼玉に住んでいるが、富士山はそこからでも見える。
そういう気分をもたらせてくれるのが、富士山だ。
この絵本は写真絵本で、写真家の大山行男さんが撮ったさまざまな富士山で出来あがっている。
童謡のように、「頭を雲の上に出し」ている富士山もあれば、おなじみ赤富士ももちろんある。
くらげの大群のような雲と富士山。
かみなりと富士山。
月と富士山。
そう見ていくと、富士山は富士山単独でも美しいが、何かと組み合わさるとまったく別の世界を浮かびあがらせていることに気づく。
それは富士山が単独でどうとか、富士山と合奏するものがどうとかではなく、共存している世界が私たちに全く新しい世界を見せてくれるということだ。
さらにいえば、そんな世界を見ている私たちがいる。
この絵本でいえば、まさに大山さんのカメラがそんな存在で、例えば富士山と月、そして大山さんのカメラが一体となって、世界を生み出しているといっていい。
そして、私たち読者はこの絵本を読むことで、さらに広がった世界を共有するのだ。
そんな世界が生まれるのも、富士山があってこそのような気がする。