先に読んだ『バーナデットのモミの木』とは真逆の印象に、正直申せばショックを感じています。
『バーナデットの…』では、焼かれていくモミの木は、それでもしあわせだったのだと、私は受け止めました。
でも、この『モミの木』は、そんなロマンチシズムは大きな勘違いと語っているのです。
同じ原作で、どうしてこれほどまでに語られ方が違うのでしょう。
その前に、この本が決定的につらいのは、写真絵本として甘さや曖昧な妥協点を排除していることです。
そして、何よりも衝撃的なのは、小さな子どもをモミの木の象徴として登場させいることです。
木なら許せるけれど、子どもが将来への可能性を取り上げられてしまったら、これほど悲しいことはない。
絵本の中で、モミの木を演じる幼子は、切られ、運ばれ、クリスマスが終わったら、追いやられた場所で、ネズミと対峙します。
まだ、幼いのです。
その幼子が、「今まで生きた中で…」しあわせだったこと、夢みたこと、経験したことを語ります。
まだまだ早すぎます。
それでも焼かれていくのです。
何という絵本でしょうか。
難病のために将来を約束されない子どもが、精一杯残された人生の中で、自分のしあわせを探し、健気に生きている。
そんなことを思い浮かべてしまいました。
子どもには見せられません。
だけど、大人として評価すべき本であると思いつつ、読み終えました。
『バーナデットのモミの木』と読み比べてみてください。