学生時代に「100万回・・・」に出会い、息子を産んで再び再会しました。
その後、「シズコさん」(新潮社)を読み先生の生育歴を知り、衝撃を受けたことを思い出します。
お母さんに愛されていないと思いこんでしまったガラスのように繊細な幼心と聡過ぎる視点。
以後、お母さんの死まで、お母さんを愛せない自分を客観的に長め続けるこの作品の重苦しさと真実。
これ以降、先生の作品を読むと、行きつ戻りつの主人公たちの“素直な自分の気持ち”に気づくまでの内面の振幅に、先生の人生のバックグラウンドを想起させられました。
創作活動を通して、先生はご自分の気持ちを昇華させていかれたのかな、とも思いました。
この作品は、初版が「100万回・・・」の前年のようです。
大きな木のかげの小さな家に住むおじさんが、大きな木に悪態をつきつつ、お話は四季を巡ります。
大きな木によって与えられていた恵みもあるのに、もたらされた小さな問題をあげつらい、文句ばっかりのおじいさん。
ここまでは、笑って読んでいられましたが、おじいさんがこの大きな木を切ってしまったところで、絵本ということも忘れて呆然です。
さて、これ以降の快適なはずのおじいさんの生活は、・・・。
息子は、「気づくのが遅すぎ!」と怒っていましたが、私は、大きな木により得ていた恵みにおじいさんは気づいていたと思いたい。
素直になれず、勢いで切ってしまったと考えたい。
取り返しのつかない事態を認識し、自分のちっぽけな意地により事の重大さを招いてしまったから泣いたのでしょう。
それにしても、自然とはなんと寛容で力強い存在なのでしょう。
新芽は、おじいさんへの“許し”の証であり、おじいさんの人生の歩み方を変えてくれたのだと思います。