ある朝、グレゴリー少年は自分がムシの姿であることに気付きます。
でも、妹も父母もムシであることに気付いてくれないのです。
スクールバスに乗ってはじめて、親友のマイケルが、
グレゴリーがムシの姿であることを認めてくれます。
ちなみに、グレゴリー達が図書室で調べたら「オサムシ」だったようです。
手塚治虫さんがペンネームで「オサムシ」をもじったのは有名ですが、
DNAによる進化の歴史研究対象としても「オサムシ」が使われていましたから、
そのあたりの因果関係もあるんでしょうね。
カフカの『変身』にヒントをもらって、と書いてあります。
ちょっと気味悪い展開ですが、いろいろ考えさせられます。
グロテスクな比喩ですが、思春期の子ども達の存在感のようなものを感じました。
父母の応対も、親としては考えさせられます。
いろんなメッセージを感じてしまいました。
どちらかというと、やはり思春期のお子さん以上でしょうか。
もちろん、それくらいの年齢の我が子に悩める親にも。