1935年生まれのユリ・シュルヴィッツ三の自伝です。
1939年、4歳でワルシャワで大空襲を経験。
ドイツのポーランド侵攻の年です。
まもなく、家族とワルシャワから当時のソ連の中央アジアのトルキスタン(現カザフスタン)へ。
この命からがらたどりついたトルキスタンの地は、夏は暑く、冬は寒い東の国。
食料は乏しく、土を固めた床の上に眠る毎日。
おもちゃも本もなかった。
パンを買いに市場へ出かけていったおとうさんは、ながいまきがみを かかえてかえってきた。
「ちずをかったぞ。」おなかいっぱいになる量のパンが、かえなかっ たから。
おかあさんはつらそうっだった。
ぼくはおこった。 ひどい おとうさんだ! ゆるせない!
しかし翌日、おとうさんは壁に地図を貼った。
くらいへやに色があふれた。
ぼくは何時間もあきずにながめたり見入ったり、かきうつした。 狭い部屋にいても、ちずのおかげで、ぼくはひもじさもまずしさもわ すれ、はるか遠くで魔法の時間を過ごしていた。
やはり極限状況で、男親と女親とでは、視点が違うのかなあ、と思いました。このおかあさんも私もひとかけらのパンでも、食べるものの方を選んだでしょう。でも、いや彼自身情けないほど少量のパンしか買えない現実に直面したとき、憤りとともに息子へ物質ではない魂のプレゼントを選択したのでしょうか。
シュルヴィッツ一家は 第二世界大戦終結後、1947年パリへ。
2年後にはイスラエルへ。1959年渡米。
ということは、絵本の中のような暮らしを約8年間続けていたのですね。
あの地図が、どんなにかなぐさめになったことでしょう。
それにしても、最後のシーンの一言は、おとこのこだなとおもいま
す。
おとうさんと、対等な言い回しで、かつ、いさぎよい宣言。ちょっと
かわいらしいですね。
我が家の10歳の息子は、“おなかがすいても食べられないという現
実”を想像できませんでした。
シュルヴィッツ一家と同室の夫婦が食事をする音に、主人公が空腹が
つらくて布団をかぶるシーンでは、「なぜ、分け与え食べられない?」
と詰め寄られました。
高学年のお子さんからおとうさんまで おすすめします。