ほんだきんいちろうさん訳の「おおきな木」を読んだ後に、
村上春樹さん訳のこちらの絵本を読みました。
同じ絵本なのに、訳者が違うと微妙にニュアンスも違ってくるんですね。
ほんだきんいちろうさん訳の絵本では、リンゴの木は男性のイメージで
読んだのですが、こちらの絵本では、口調が女性になっています。
あとがきを読んだところ、原文では木は「彼女」と書かれているそうです。
母性としての木だったんですね。
木から与えられてばかりの少年の姿を見ていると、ふと自分の行いは
どうだろう?と思わずにはいられません。
親にしてもらったことは多々あっても、親に何かしてやれたことは
果たして幾つあったでしょうか?
少年の転機と言える時に、身を削って力になってくれる親としての木、
見返りを求めない無償の愛に頭が下がる思いがしました。
そして、木の愛をひたすら受け入れるだけの少年の姿。
年老いて疲れ果ててしまった少年にとって、与えるだけの愛が
果たして良かったのか悪かったのか。疑問が残ります。
けれど最後、木に与えることを求めなかった少年の姿に、
木は本当の幸せを初めて心から感じたのではないでしょうか。
読めば読むほどいろんな解釈の仕方が沸々と沸いてきて、
全く不思議な奥深い絵本だと思います。