「森永ヒ素ミルク事件」のことを知っている人も覚えている人も少なくなったかもしれません。
ウィキペディアからの引用になりますが、「森永ヒ素ミルク事件」は「昭和30年6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した森永乳業製の粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した食中毒の事件」とあります
同年に生まれた私は幸いにして母乳で育ったおかげで無事でした。
しかし、同年の人に被害にあわれた人がいたし、この事件そのものがごく普段の生活の中にあったことはよく覚えています。
この絵本の作者長谷川集平さんはこの作品で第三回創作えほん新人賞を受賞(1976年)し、本格的に絵本作家になっていくのですが、それが「森永ヒ素ミルク事件」を題材にしたものとは知らなかったし、長谷川さん自身が、長谷川さんも昭和30年生まれで、このヒ素ミルクを三缶飲んだということも知りませんでした。
だから、この絵本は衝撃でした。
事件そのものを思い出したということもありますが、「生まれつきのほそいからだとやはりこのモリナガぬきに今の私は語れません」と「あとがき」に書いた長谷川さんのこともそうだし、何よりも絵本がこういう事件も作品にできるということも衝撃です。
物語の主人公はせがわくんはおそらく「森永ヒ素ミルク」の被害者となった子どもです。幼稚園の入園の時には乳母車に乗せられてお母さんとやってきます。
成長がうまくできなかったのです。
小学生になっても痩せた身体でうまく歩くこともできません。
そんなはせがわくんを大嫌いといいつつ、めんどうをみる少年の視点でこの絵本は書かれています。
少年のまっすぐな視線は、何をしてもうまくできないはせがわくんをじっと見ています。森永の粉ミルクを飲ませたはせがわくんのお母さんのことも「わからへん」といいます。
少年ははせがわくんのお母さんのことを責めているのではありません。
本当であればはせがわくんだって、元気に遊べる友だちだったはずなのに、それができない。しかも、それは理不尽な事件によって起こったもの。
少年は「はせがわくんきらいや」といいつつ、はせがわくんを捨てることはありません。
はせがわくんは少年の生きた時代そのものだからです。