自分の先祖を順番に並べたら、たかだか5人ぐらい前で江戸時代あたりの先祖になるのだろうか。
私の前が父母で、その前には祖父祖母、その前が曾祖父母。このあたりになるとすでにどんな人だかわからない。
人類の歴史などと大仰にいっても、その程度なのだ。
本書の作者で、画家いさわきちひろの子どもである松本猛さんがこの絵本の終わりに、「七代先のことを考えて判断しなさい」というアメリカ先住民の言葉を紹介しているが、七代先とは言葉でいえば簡単だが、実は途方もないくらいの年数ということだ。
ヒロシマやナガサキの原爆からでもせいぜい三世代前といえる。
たったそれだけの年数なのに、この国は原子力発電を容認し、拡大していったわけである。そして、東日本大震災による東京電力福島原発での事故。
それは、「まさか」であったのか、「やっぱり」であったのか。
高度成長期のこの国は豊かさを国民にもたらしたが、その一方で「七代先のことを考える」ことはしなかったのだ。
松本猛とその娘である松本春野の共作となったこの絵本は、原発事故によって福島から広島に避難してきた一人の少女と同級生となったサッカー好きの少年の物語だ。
ひとり仲間にはいらない「ふくしまからきた子」、まや。
彼女のことが気になるだいじゅ少年は家で彼女の事情をきいてみる。
放射能、原爆、避難。ヒロシマとフクシマ。
その夜、少年は母の背にしがみついて泣くまやの姿を見る。
子どもたちに罪はない。
「七代先のことを考え」なかった大人たちの責任だそのことをきちんと伝えていくことが、今の私たちの大きな課題といっていい。
物語であれ、ノンフィクションであれ、本書のような絵本であれ、子どもたちに、「七代先」の子孫たちに、伝えていくことがどんな大事なことか。
そういえば、この絵本で絵を担当した松本春野はいわさきちひろから二代めにあたる。祖母ちひろの柔らかなやさしさを受け継いでいるようなタッチの絵が、いい。