●なぜ出版を?
─── なぜこの本を出版されようと思ったんですか。
2009年か2010年にフランスに行ったとき、パリの本屋さんで『愛すること』『生きる意味』と目が合ってしまったんです。手にとってみると、日本では見たことない雰囲気のイラストの絵本で、しかも哲学でしょう、すっかり心を奪われて、気になってしょうがなかったんですけれど、そのときは別の大事な用件で渡仏していたのでつい紛れてしまった。そしたら帰国後3、4か月して、おつきあいのある海外の版権を扱う事務所から届いたんですよ。「この本、気になってたんです!」「ぜひ当社で翻訳出版させてください」と。
─── 運命的な本だったんですね。
そのころすでに日本社会の閉塞感というか・・・就職できない人たちがいっぱいいて、経済成長もこれまでのようには期待できず、何をしていいかわからない不安な空気が漂っていました。私と同年代の仲間でも職場などで思うようにいかなかったり、自分と他人を比べては焦ったり落ち込んだりして、心身の不調をまねく人もいましたね。どうしたらみんなもっと生きやすく、幸せになれるんだろうと考えずにはいられませんでした。そしてもっと「自分らしく生きる」ことを大切にできれば、もう少しだけでもよくなるんじゃないかと漠然に思っていました。
フランスと仕事をするうちに、日本だったら苦境に見える状況でも、フランスでは「これが私の哲学だから」って、背筋伸ばして顔をあげて気持ちよさそうな人たちがいて、「人それぞれ」を当たり前とするところがカッコイイなあと感じることがありました。でも自分の哲学を持つためには、まずちゃんと自分と対話する必要があるわけです。そしてこの本は、そのきっかけを、文とイラストでたくみに仕掛けてきてくれるんです。ドンピシャでした(笑)。
─── でも、よく企画が通りましたね。「哲学絵本」というむずかしそうな絵本。
本当ですよね。売るのが大変だよという声が販売部から聞こえてきそうですもん(笑)。でも、これが私たちを救い、私たちの未来を幸せにする本だ!という直感があった。そして「この本を世に出せることは、出版社として誇りだ」と言ってくれる上司がいて。それが後押しになりましたね。
─── 『生きる意味』のなかにはこんなページがあります。生きる意味とは「どんなにばかげたことであっても 自分の夢を実現しようと努力すること」に対して、「現実をそのままに受け入れ 毎日をあるがままに生きることだ」。そして「とても忙しくて 仕事がたくさんあるときこそ 生きる意味は大きくなる」に対して、「なにもすることがないとき 過ぎゆく人生を静かに見つめるとき そういうときにこそ生きる意味はある」。私はどっちだろう?と考えずにいられません。伊藤さんの頭のなかの読者は、大人だったんですか。
はい。20歳代、30歳代、40歳代・・・疲れている大人、ちょっと立ち止まって考えたくなっている大人のイメージだったんです。カフェ休憩アイテムみたな。いま「幸せになるため」の本がいっぱい出ていますが、人の考え方を取りこんで、その光に照らしてもらうタイプのものにはなんとなく違和感がありました。それよりも、自分の内からの光で輝いてもらえる本が作りたいなと。自分でさえよくわからない自分の本当の幸せを、人から一方的に教えてもらえるなんてことはないでしょうからね。そこで絵本とともに、「生きる意味」「愛すること」って何だろうと少しずつでも考えはじめてみませんかと。自分のなかを探って探って見つけた考えこそ、愛すべき自分らしさですし、自分を励ましてくれる本当の力になりうるものかなって(笑)。
─── 対人関係で悩んだり、他人を理解するためにも役立ちそうですよね。一般啓蒙書や自己啓発本との最大の違いは「答えがない」ということでしょうか。
そうですね。自分で考えなきゃならないから、読み終えてもすっきりはしないんです。逆に投げかけられてもやもやするかもしれない。なんだこりゃ、と思う方もいるかも。でも絵からも文からも刺激を受けて、何かが醗酵しはじめるというか・・・自分のなかで大切なものが生まれる胎動を感じませんか。
─── 翻訳者は伊藤さんが依頼されたんですか?
ええ。企画段階での直訳はむずかしくてとてもわかりにくいものでした(笑)。最初に原書を、高校時代の友人で、大学でフランス語も教えている哲学者に読んでもらったところ、「すごく詩的な文章」「原文のリズムや繊細さもわかって表現できる翻訳でないと生きないよ」と助言をもらい、藤田尊潮先生(武蔵野美術大学教授 フランス文学)の名があがりました。
すぐに藤田先生の『星の王子さま』の新訳(『小さな王子――新訳 星の王子さま』八坂書房)を読み、訳の力ってすごい!と感動しました。なぜなら、それまで『星の王子さま』を最後まで読めたことがなかったから。教科書にも出てきたし、そのほかでも何度か出会うんですけど、難しいのか飽きてしまうのか・・・それなのに藤田先生の新訳はあっという間に物語のなかに連れて行ってくれて、思いもよらず仕事中にデスクで涙を落としてしまった。そして先生ならイラストのかわいいキャラクターと響きあえる文を提供してくださることを確信して、お願いしました。
だからといってこの「はじめての哲学」シリーズでは、ぜんぶやさしい言葉やひらがなに置き換えているわけではないんです。「観念(イデー)」という言葉をあえて残しましたし、哲学するために必要な言葉や、考えるために平易に訳しきらないほうがいい言葉があることを学ばせてもらいました。言葉によって形作られるものがあるわけですね。
もともと藤田先生は子ども向けに本を書かれている方ではなく、フランス文学者としてサン=テグジュぺリを長く研究テーマにされていました。一言一言をゆっくりていねいにお話される繊細でおやさしい方ですよ。
─── イラストがまた素敵ですよね!言葉から受けとるイメージをとても助けてくれるようで。どのページも、左右、違う考えになっているんですか?
そうです。物事やものの見方を、常に対立させて表現しています。対立させることで考えを認識していくわけです。著者は「反対語なしには哲学できない」と言っていますからね。
イラストを眺めながらゆっくり文を読んでいると、ジャック・デプレ氏のイラストはかなり強烈に思考の扉をたたいてきます。多くの哲学の本は理性の世界というか、言葉だけで展開します。でもこの本は言葉だけでなく、同時にイラストが感性に話しかけてきてくれます。理性と感性、両方で考えはじめることができるのも、この本のすごいところだと思っています。理性だけじゃついていけないことっていっぱいあるでしょう? そもそも「自分らしさ」は理性だけでできたものじゃないですし。感性を働かせつつ自分自身を考えてこそ、本当の自分を見つけられる気がします。感性への問いかけのほうが、女性は得意かもしれませんね。「哲学絵本」は感性派にとってもいいんじゃないかな。
─── だから私もしっくり来たのかも(笑)。