本年96歳になった小栗大造は、新美南吉のふるさととして知られる愛知県半田市岩滑(やなベ)の出身である。みかん農家の跡取りであったが、父は大造が5歳のときに他界。母一人子一人の生活だった。1939年、召集されて中国戦線に従軍。憲兵隊に所属し、命からがらビルマのジャングルで終戦を迎えた。母が待つ日本へ復員した大造は、家業の再興に懸命にとりくんだ。
1990年、大造は72歳になっていた。仕事も息子の代となり、ふるさとの農業・園芸の振興にも、少しは力を尽くすことができた。だが、「何か大切なことを、まだ果たしていない」ことに気づく。それは、戦争のために死んでいった、友人たちへの「思い」だった。
大造は、ふるさとの矢勝川(やかちがわ)の土手に、ひがん花を植えることを思いつく。南吉の童話『ごんぎつね』にも登場する、ふるさとの思い出がつまった花だ。「これを矢勝川の土手に咲かせて、二度と戦争などしてはならないと、みんなで誓い合おう。それが、戦争で生き残り、幸せに暮らしているわたしの、これからの仕事だ……」。こうして大造は、土手の草を刈り、1株1株集めたひがん花の植え付けを始めたのである。
初めは、ひとりの老人の奇妙な行動でしかなかった。しかし、大造の「思い」に共鳴した、たくさんの人々の協力によって、現在、秋の彼岸時期、矢勝川には、300万本以上のひがん花が咲きほこっている。それは、「平和」を祈る思いが紡いだ、どこまでもつづく赤いじゅうたんのようだ。
子どものころ、家族で山歩きをしていた時
あまりにも赤く咲いている彼岸花が美しくて
「持って帰りたい」と言った私に
「不吉な花だから触ってはいけない」と怖い顔で母は言いました。
なので
彼岸花の群生地があるなんて、驚きました。
たったひとりで、球根を植えることに取り組んでした大造さんは
戦争に行き、仲間はみんな死に、
自分だけ生き残ってしまったことを
申し訳なく感じていた・・
そんな心が、一面の彼岸花を作り出したのですね。
同郷の新美南吉・作の『ごんぎつね』にも、彼岸花の情景があり
うまくお話に絡めてあります。
平和への思いを強くする、一冊です。 (やこちんさん 50代・ママ 女の子17歳)
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