「谷戸(やと)」とは、なだらかな丘にはさまれた、あさい谷のこと。 自然ゆたかな谷戸では、昔から人々が田んぼや畑を拓き、おだやかに暮らしていました。 そんな、とある谷戸の一角に、一軒のかやぶき屋根の家が建ち、あたらしい家族が越してきます。
同じころ、その家の前に祀られることになった、石造りの十六「らかんさん」。 らかんさんたちは、季節と時代により、みるみるその姿を変えてゆく谷戸の景色と、人々の営み、そしてかやぶき屋根の一家を、見守ってゆきます。
たとえ、谷戸から自然がすっかり消え去ってしまったとしても——
谷戸の景色と人々のいとなみ、その150年の歴史を、十六人のらかんさんたちと見つめていきます。
本作では、見開きの左に十六らかんさんを、右に谷戸の景色を描いていくのですが、谷戸がどんなに変化しても、らかんさんたちはおだやかにほほ笑み、手を合わせています。 とはいえ、彼らもただじーっと谷戸を見つめているばかりではありません。
谷戸の季節により、ときにはその腕にウリ坊をだき、ときにはほほに手をあてタヌキをながめ、ときには頭のうえにのせたキジバトの巣を見つめて—— なんて、茶目っけたっぷりな、らかんさん!
鯉のぼりが泳ぐ5月。 空深い青さが目を引く8月。 色とりどりの紅葉に山が染まる11月。 ページごとに目まぐるしく色合いを変える谷戸の風景は、その雲の質感さえ季節により移ろってゆく、ていねいな描き込みです!
特に目を見張ったのは、昭和20年の初夏を描いた風景。 蛍が舞い、星の降ったような夜の空気。 遠く丘の向こうでは空襲の明かりが空を照らしていて、水を張った田んぼに、その赤と夜空の星々が映っています。
明治から大正、昭和を経て平成最後の月まで。 歴史と季節とが交差するふしぎな時間の中で、昭和後半の秋ごろ、自然ゆたかな谷戸に、開発の波が押しよせてきます。 谷戸からは自然も動物も消え、かやぶき屋根の一家も去りました。 やがてだれも、らかんさんたちを気にとめなくなってしまいます。
「大きな波はあらゆるものを変えたけど、くりかえされる命のいとなみに変わりはありません」
それでもらかんさんは、穏やかな笑みをくずさず、しずかに谷戸を見つめます。
本作で描かれた谷戸の風景の元になっているのは、現在の多摩ニュータウン地域。 巻末には各ページに描かれた人々の様子や谷戸の景色についての解説が掲載されていて、当時の谷戸の暮らしについて、さらに深く知ることができます。
ホコリにまみれ、忘れられていくだけかと思われたらかんさんたちにおとずれる、思わぬ出会いとは? 大きな時間の流れの中でくりかえされ、そして失われていった、かつての日本の風景を知ることのできる一冊です。
(堀井拓馬 小説家)
「やと」とは「谷戸」とも書き、なだらかな丘陵地に、浅い谷が奥深くまで入り込んでいるような地形のことをいいます。 この絵本では、東京郊外・多摩丘陵の谷戸をモデルに、そこに立つ一軒の農家と、その土地にくらす人々の様子を、道ばたにつくられた十六の羅漢さんとともに、定点観測で見ていきます。
描かれるのは、明治時代のはじめから現代までの150年間。 長い時間、土地の人びとは稲作、麦作そして炭焼きなどをしてくらしてきました。昭和のなかばには戦争もありましたが、それでもつつましく、のどかなくらしをつづけてきました。
そのいとなみが大きく変化したのは、昭和40年代からです。この広大な土地が、ニュータウンの開発地となりました。丘はけずられ、谷は埋められました。自然ゆたかだった丘陵地は、あっというまに姿を消しました。そして昭和のおわりごろになると、団地やマンショがたちならぶニュータウンへと姿をかえました。大地にねざした稲作や炭焼きの仕事は、もうほとんどなくなりました。
しかし、新たに多くの人がここへ移り住み、町はまた活気をとりもどします。平成となると、ニュータウンができてからも30年以上がたち、自然豊かでのどかだった村は、落ち着いた郊外の町となっていきました。
ここに描かれた村にかぎらず、現在の私たちのくらす町はどこでも、かつてはゆたかな自然あふれる土地であったことでしょう。今のような町になる前は、どのような地形で、どのような人びとがいて、どのようなくらしがいとなまれていたのでしょうか。これを読みながら、みなさんのくらしている町と、くらべながら見ていくのもいいでしょう。
巻末には、8ページにわたって、この絵本に描かれている農作業とその道具、村の習俗や人びとの様子などをくわしく解説しています。
素敵な絵本で、小学生の自主学習なんかにもぴったりにも思いました。
四季ある日本の季節感なども感じられるのも、気持ちがほっこり癒されました。
長年げつでの家の移り変わりや昔ながらのよさも感じられ、子供だけでなく大人にもおすすめの絵本にも思いました。 (まゆみんみんさん 40代・ママ 女の子10歳)
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