ウトウを殺した報いのために地獄で責め苦を受ける亡者を描く謡曲『善知鳥(うとう)』。 この哀話に多くの人が魅せられたのはなぜか。 文芸作品や仏教文献、そしてこの主題を追いつづけた菅江真澄の足跡をたどり、哀しみの根源にせまる。
「どうしてこんな詮無い物語が生まれたのか。どこにも救いがないではないか。みじめなだけのこの哀話に、しかし多くの人が魅せられた。なぜだろう。 本書は謡曲『善知鳥』から説き起こし、作者の問題をかえりみつつ、そこに至る文芸の系譜を訪ねる。つづいて中世における救いのありかを仏教文献のなかに探っていく。さらにこの主題を追いつづけ、ついに放擲するしかなかったひとりの文人の足跡をたどる。そうした作業を通じてこの物語の哀しみの根源にせまりたい。それはやがて日本の文芸世界と、その基盤にある民俗伝承の沃野を底辺から見つめなおすことにつながるであろう。」(「はじめに」より)
【目次】 はじめに―うとうの神社から
前 編 文芸の源泉を求めて
第一章 親子鳥の哀話 第二章 王朝文芸の系譜 第三章 救いのありか 第四章 謡曲へ流れこむもの
後 編 追尋、そして放擲
第五章 文学から博物学へ 第六章 ある旅人の探求 第七章 なぜ放擲したか
注 補 遺 謡曲『善知鳥』 おわりに―うとうへ、ふたたび
和歌索引 索 引
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