「ポケット詩集」の冒頭を飾るのは宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で、 しめくくりは茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」です。
これには編者のある思いがあります。編者が少年時代唯一暗誦できた詩は、「雨ニモマケズ」でした。 この詩を哲学者の故谷川徹三氏(谷川俊太郎さんの父)が「精神の高さにおいて、これに比べうる詩を私は知らない」と 述べていることに感銘を受け、触発されたことが「ポケット詩集」編集の動機でした。 精神の高さということなら、「雨ニモマケズ」一編に限りません。「自分の感受性くらい」もそうだし、 石垣りんさんの「表札」も谷川俊太郎さんの「みみをすます」だって同レベルということになります。 はじめは、万葉集からボードレールまでと気宇壮大なアンソロジーを考えましたが、ごった煮になってすっきりしません。 そこで近現代の、それこそ精神の高い現代詩を選ぶこと3年。 「雨ニモマケズ」で始まり「自分の感受性くらい」で終るという編集の組み立ては、初めから決めていたことでした。 発刊は1998年11月。絵本「葉っぱのフレディ」と時を同じくして世に出たのは何かの符牒でしょうか。 編者はこの二冊の本に、初めて、まえがきを書きました。 「葉っぱのフレディ」では「編集者からのメッセージ」とし、「ポケット詩集」では「まえがき」としました。
「ポケット詩集」のまえがきは、こう始まります。
「子どもたち、詩を読みなさい。とびきり上等のいい詩を読みなさい。いい詩というのは、 詩人が自分の思いをどこまでも深く掘りさげて普遍(ほんとうのこと)にまで届いた詩のことです。 詩人の仕事は、生きる歓びをうたうことです。いい詩はみな、生きる歓びにあふれています。」
−そして最後にこうしめくくりました。
「この詩集を、ほんとうの子どもたちと、子どもの心を持った大人たちに捧げます。」
まえがきが、すごくいいです。
選ばれた詩たちも、すごくいいです。
宮沢賢治さんの「雨にもマケズ」からはじまる詩集。
長田弘さんの「世界は一冊の本」は、我が家の小学6年生の子供の国語の問題集にも読解問題として掲載されていました。
詩集を読む読書、そんな読書も子供にすすめたくなりました。 (まゆみんみんさん 40代・ママ 女の子12歳)
|