どうして子どもって小さなものを宝もののようにして集めたがるのだろう。
小さくなった匂いつきの消しゴム。きらきらひかるスーパーボール。遊園地の半券。鉄腕アトムのシール。ちびた青い色鉛筆。小指の爪ほどの貝殻。そのほか。そのほか。
机の引き出しの奥深くにそっとしまって、でもいつの間にかなくなってしまう、宝もの。
もしかしたら、それは思い出だからかもしれない。
誰にも渡したくない、けれどいつか誰かにそっと話したいような。
イタリアで生まれた少年は貧しい生活をおくっている。時には食事さえとれないことがあって、そんな時にはオリーブの種をなめることもあった。
小さくなったオリーブの種。それが少年の最初の「思い出」。
父親がアメリカに出稼ぎに行った時、少年はまだ赤ん坊だった。少年が知っている父親の顔は一枚の写真。
それが少年の二番めの「思い出」。
そして、少年たち一家は父親を追ってアメリカに移住することになる。
ナポリの町で見つけたのは、マッチ箱。
字も書けない少年は、その中に「思い出」のものを入れることにした。少年の、いわば日記。
ナポリでは初めて見た瓶入りの飲み物の王冠をいれた。
アメリカに着くまでの苦難。アメリカでの迫害。
けれど、少年はめげることはなかった。
マッチ箱の日記にはさまざまな思い出が詰め込まれていく。
魚の骨。新聞の切れ端。折れた歯。初めて見た野球のチケット。
やがて、少年は字を覚え、印刷工になっていく。
マッチ箱の日記はもう終わったけれど、別の方法で日々を綴っていく。
それは、本屋になること。「読んだらその時のことを思い出せる」から。
今ではすっかりおじいさんになった少年がひ孫の少女に語りかける人生。
たくさんのマッチ箱は、一つひとつは小さいけれど、少年の「思い出」がうんとつまっている。
生きていくことは、そのことを誰かに伝えていくこと。それは未来の自分でもあり、自分から続く人々だ。
「日記」とは、そのためのものともいえる。
精密な筆と温かな色調のこの絵本もまた、「日記」のようにして誰かに読まれつづけるだろう。