子ども時代を過ごした家は、畑の中に点在する民家のうちのひとつでした。木造の平屋建てで、東向きの小さな台所には北側に向かって開くドアがついていて、そのドアの手前は畳半分ほどもない狭いタタキになっていました。
秋の夜。
一日の家事を終えて、茶の間で、静かに家に持ち帰った残業をしている母。たまにソロバンをはじく音とカルテをめくる音が聞こえてきます。わたしは……布団にはいって読書していたり。予習や復習に追われて、居眠りこきながら机に向かっていたり。父? 父は10時にはもう寝入っているひとでした。
しーん。
窓の向こうからはエンマコオロギをはじめ、マダラスズ、ミツカドコオロギ、クビキリギリス、…エトセトラ、エトセトラ、それはもう数え切れないくらいたくさんの種類の虫たちの声が、遠く近く、波打つように聞こえていました。そう、まるで寄せては返す波みたいに、その歌声は楽しく陽気に、ときにしんみりと涼やかに、夜の時間を演出していたのです。
「ヒィロリロリロリ〜ヨ」
静寂を打ち破る突然の一声!
…一瞬ドキリとしますが、次の瞬間にはぷっと吹き出しているわたしたち。
台所のタタキで、エンマコオロギが鳴いているのでした。田舎の小さな古い木造家屋でしたから、隙間だらけ。ドアの下から、コオロギなどでしたら簡単に出入りができてしまうのでした。
「いいよ、放っとこう」
隣の茶の間から母の声がします。
「ヒィロリロリロリ〜ヨォウ…」
まるで土間に響き渡るおのれの鳴き声に酔いしれているかのように、エンマコオロギどのは一定の間をおいて鳴きつづけます。
ゴキブリとは違って、半飼い状態でも何も悪さはしないし。たまに畳の部屋にまで現れては、なぜか両手にウチワを持った母と捕り物劇を繰り広げることになったりもするけれど、なんのかんの、かわいいやつであることには変わりないのでした。
しかし、こうしてたくさんの種類の虫の声を聞いて育ちながらも、自分でも恥ずかしくなるくらい、声を聞いて種類を答えることができないのです。それに、今住まっているこの辺りではあのアオマツムシどもが超音波まがいの絶叫をし、幅をきかせているために、よほどの耳の持ち主でないと彼ら以外の虫たちの声を聞き取ることも難しい。困ったなあ、これじゃあせっかくの秋の夜が半分も楽しめないじゃない……。そんなときに出会ったのがこの「なく虫ずかん」でした。
虫の絵を担当する人。鳴き声を、イメージそのままにデザインした文字で描く人。聞こえる声を楽譜に表そうとする人。虫たちについての解説文を綴る人。…この4人のスタッフの優れた耳とアイディアと、虫たちをいとおしむ心とが結集して、この本ができあがりました。
グラフィックで表した音だけの見開きページのあとには、その音の正体(声の主)が、同じく見開きで明かされます。
登場する虫たちは、住んでいる場所(その声が聞かれる場所)ごとに分類されているので、わたしたちは「鳴き声」と「場所」という二つのヒントによって声の主を調べることができます。
この本では「コロコロコロリー」と表記されているエンマコオロギも、わたしなどの耳には「ヒィロリロリロリー」と聞こえる…といったように、擬声語というのは聞く人それぞれが違うものをもっていると思います。つまりが、こうして本に表記されている擬声語は当てにならないと言えないこともないのですが、はっきりとそれと判別できなくても、耳を澄ます手がかりには十分です。耳を澄ますいいきっかけになります。
そして、巻末に紹介されている、鳴き声を表した楽譜によって、ある程度その虫の正体を絞ることが可能になると思います。
懸命にいのちの歌を響かせる秋の虫たち。今あなたの耳を楽しませてくれている者たちの名前を知り、姿を知りたいと思うことが、彼らと仲良くなる第一歩ではないでしょうか。しかと正体がわからなくても、テレビを消して、耳を澄ませ、聞こう聞こうとする心、彼らに近づきたい、仲良くしたいと思う心をもつことそのものが大切なのではないでしょうか。