50年前のアメリカの作家さんの作品と知り、驚きました。
今の時代にも垣間見る、少年少女の残酷なからかいや蔑みの光景。
ポーランド移民の子ワンダ。
身なりからして、経済的にも相当貧窮していたようです。
学校に来ても、言葉もおそらく不自由であったことでしょう。
授業でも躓き、先生の説明にも黙り込むほどですから、クラスメートに流暢に英語で話しかけられるはずがありません。
彼女の存在は、クラスの中で無きに等しい状況だったようです。
その彼女の、一言を聞き逃さず執拗にはやし立て、待ち伏せまでするようになるペギーとマデライン。
こんな子に百枚のドレスがあるわけが無いと決め付け、意地悪い質問攻め。
読んでいて、人間の心の中にあるこの残酷さ意地悪さが悲しくなります。
できるなら神様にお返ししたい人間の醜い感情です。
決して、少年少女ばかりじゃない。
大人社会にもこんな場面は、どこにでもあるガッカリする光景です。
せめて、学校で学んでいる時間は、子供は等しく対等の存在で一心に黒板を見つめられる環境であるべきなのに。
着ているもの、住んでいるところ、親の経済力、使っている言葉、親からプレゼントされた名前、身体的特徴など、どれもこれも本人がいかんともしがたい事由です。
それをあげつらい、からかうことを喜びとする周囲の子供たちの心の貧しさ。
マデラインの煩悶の中に、少女の心の中の内実が描かれていて、ほっとします。
ワンダの転校で、ペギーとマデラインが考えを改める機会を持て良かったと思います。
また、ワンダの百枚のドレスが本当であったことも、転校後彼女にそれが評価されたことを手紙で伝えられたことも良かった。
そして、ラストでペギーとマデラインの気づいた事に、こみ上げてくるものがありました。
読むと時にはワンダの立場に立てるのに、本を離れると知らず知らずペギーやマデラインのようなことをしていることがあるやも知れぬ事に、息子にも気づいて欲しいと思い薦めました。