「近未来」というのは、どのぐらい先のことをいうのだろう。
手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」で主人公のアトムが誕生するのは2003年という設定になっている。漫画雑誌に連載されていたのが、1950年代だから、50年先あたりが「近未来」ということになるのだろうか。
SF映画などでは核戦争が起こって地球に人が住めなくなるのも「近未来」だし、宇宙への移民が始まるのも「近未来」だ。
どちらかといえば、けっしてバラ色ではないのが「近未来」のような気がするがどうだろう。
名作『アライバル』で多くの読者を魅了したオーストラリアの絵本作家ショーン・タンのこの作品も「近未来」を描いた作品だ。(あるいは、夢か)
登場するのは、兄と弟。
この二人以外に人の影はない。
二人だけで過ごした「去年の夏」。弟はそこで生きる知恵のようなものを学ぶ。
たとえば「赤い靴下を片方だけ干しっぱなしにしないこと。」
では、干しっぱなしにしたらどうなるのか。それは絵で解説されている。
兄弟の数倍もある巨大ウサギが赤い目を光らせて横行する。
たとえば「裏のドアを開けっぱなしたまま寝ないこと。」
ではどうなるか。
部屋の中に異界のものたちであふれかえってしまう。
そういうなんともいえない世界に兄弟を二人きりで生きている。
はたしてこれは夢か、それとも「近未来」か。
どうしてショーン・タンはこのような世界を描いたのか。
実は私には何にもわかっていない。
そこにファンタジーすら感じえない。
それってどうなの?
読む時を間違ったのだろうか。
もし、私が十代の少年であったら感じるものは違うのだろうか。
勇気とか冒険とか。
もし、私が二十代の青年であったら受け取るものは違うのだろうか。
反省とか悔恨だとか。
一冊の絵本は読者にさまざまな思いをもたらす。
そこにあるのは、自由だ。
けれど、この作品は私には少し難解すぎる。
それはショーン・タンのせいではなく、私のせいだと、たぶんそう思う。