「ドングリ・ドングラ、あかい ひを ふく あの しまへ」、イタリアの歌「フニクリ・フニクラ」をもじっているのでしょうか。日本では「鬼のパンツ」の歌詞で知られる、あの歌です。
とても期待して読んでみたのですが…。
ドングリたちの旅路。なんだか軍隊をイメージしてしまいました。中世の十字軍みたい…。行軍という感じの絵です。剣など武器を持っているし。あるいは、植民地や荒れ地に送り込まれた開拓団でしょうか。自己陶酔&自己犠牲の賛美のようにも見えてしまいました。
火山が爆発した土地+ドングリが向かう、で結末も予想できました。緑が失われた土地に新たに植物が芽吹く、という発想自体はステキです。最後のページは感動的でした。自然環境の再生とか、好きなテーマではあります。
けれど、本来の自然界的にはどうなんでしょう…?
旅の途中でリスが立ちはだかりますが、リスなどはドングリを食べてしまうと同時に、元の木から離れた所へ実を運んでくれたり、土に埋めて(もちろんリスは植えているつもりはないのですが)芽吹く手伝いをしてくれたりと、ドングリが子孫を残すのにちゃんと役立っているのですよね。
というか、植物の果実って、動物に食べてもらうことにより種子を運んでもらい子孫を残すという、生存のための戦略であるところがありますよね。
自分では動けないわけだから。
また、海を渡るシーンでは、海岸にあったゴミに乗って船出していますが、ゴミは本当はあっちゃいけないでしょ。実際にゴミを利用してたくましく生きる生物もいますが、だからって、この本の中で、ゴミがあったから旅が続けられる結果になったというのはどうかと思いました。
そもそも、長〜い目で見れば、火山活動や洪水も、人為的なものでもなければ、自然界のサイクルにちゃんと組み込まれてますよね。
このお話が、例えば、ドングリだけでなく、いろんな生き物の協力や知恵を得た上で、みんなのふるさとである森を再生しよう!と試みるなど、ユーモアのある明るいタッチの話だったとしたら…、また少し、印象が違ったかもしれません。
ドングリ達の悲壮感というか使命感というかと、テーマとの間に齟齬を感じました。絵本だから、ファンタジーだから、現実とは違う…という理由であったとしても、何だろう、モヤモヤっとすっきりしない印象が残りました。