この本は、物語を書いた人や絵を描いた人の名前でわかるように、韓国の絵本です。
まだ暮らしぶりがそれほど豊かではなかった、もちろん今はたいそう豊かになりましたが、1980年の初めに書かれました。
だから、ビニールがさといっても、どことなくごわごわしていますし、柄の部分も木でできています。おしゃれだとか便利だということでなく、むしろ布製の傘が買えない貧しい人たちが使っていました。
あるいは、道も舗装がされていません。ですから、雨が降ると、水たまりができ、やがて泥んこになってしまいます。そんな時代のお話です。
それは韓国という別の国だからではありません。私たちのこの国でも、何十年前はそうでした。そのことを忘れてはいけません。
主人公の名前はヨンイ。小学生の女の子。見た感じでいえば、二、三年生ぐらいの、かわいい女の子です。
月曜の朝だというのにあいにくの雨。ヨンイは緑のビニールがさをさして学校にむかいます。そして、途中で雨にぬれている物乞いのおじいさんをみかけます。
物乞いというのも知らない人がいるかもしれません。人に慈悲を乞うとでもいえばいいのでしょうか。でも、この絵本でも描かれているように、子どもたちにもこづかれたり、からかわれたりしてしまいます。昔なら「勉強しないと、ああいう人になりますよ」と言われてしまいます。
そんなおじいさんをヨンイはどのようにみていたのか、ビニールがさをさした後ろ姿の彼女しか絵本の中では描かれていません。
でも、ヨンイの気持ちはよくわかります。どんどん降る雨が、そしてしだいにぬかるんでいく土の色が、ヨンイの、悲しい気持ちをよく表現しています。
ヨンイはそっと学校を抜け出し、「だれかに みられていないか あたりを よーく みまわしてから」おじいさんに彼女のビニールのかさをさしかけてあげます。そして、濡れながら学校に走ってもどるのです。
どうして、ヨンイは「だれかに みられていないか」様子をうかがったのでしょう。さりげない文章ですが、ヨンイのやさしさと小さな勇気が伝わってきます。
学校が終わる頃には雨もあがりました。もうおじいさんはいませんでした。ヨンイのビニールがさがたたまれて、壁にたてかけてありました。
かさは何にもいいませんが、おじいさんの心がやさしいヨンイに話しかけているようです。「ありがとう」って。
きっとほかの子どもたちには、そのビニールがさの意味がわからなかったと思います。わかったのはヨンイひとり。それでいいのです。
雨のやんだ道をかさをひろげて帰る、ヨンイの後ろ姿の、なんと晴れやかなことでしょう。
豊かになることで忘れてきたことがこの絵本にはあります。
それがわかるのは私たちおとなでしょうし、それをきちんと伝えていくのも、私たちおとななのです。