この絵本が出版されたのは、まだアメリカ人の中にメキシコの人々への偏見が根強くある頃。ですから、エッツとメキシコ人・ラバスティダによるこの絵本は、メキシコの日常生活を広く伝える意図が含まれていたということです。なるほど、この絵本は、メキシコの人々がどんなものを食べ、住まいの中はこんなふうで、町中の様子はあんなふうで……と、生き生き写実的な描かれ方をしており、たいへん興味深いものになっています。
幼稚園に通う小さな女の子セシは、今年はじめて自分が主役のポサダをしてもらえるというので大はしゃぎ。ポサダというのは、クリスマスの前の9日間、毎晩どこかの家で開かれるパーティーのこと。インディオの文化とスペインの文化とが混じり合ったカトリックの国メキシコならではの、独特のクリスマスの行事なのです。
そして、そのポサダのメイン・イベントとなるのが、「ピニャータ割り」。ピニャータというのは、壷に紙を貼りつけて作った、つまりが張り子の人形のことです。
クリスマスが近づくと、いろんな形をしたピニャータが市場で売られます。ポサダのときには、ピニャータの中心に埋め込まれている壷の中にお菓子や果物をたくさん詰め込んで、これを庭にぶら下げます。そして、ポサダのクライマックス、目隠しをされた子どもたちが、スイカ割りみたいに棒を持ち、交替でピニャータを割るのです。ピニャータに棒が命中し、壷が割られると、子どもたちはわれ先にと中から落ちてきたお楽しみのお菓子を拾う…というものです。
ポサダの日を指折り数えて待つ小さなセシ。そして、このたった一つの自分のピニャータを買い求めるときのセシの気持ちの描写がすばらしいのです。ピニャータを売る市場の一角の前で、たくさんぶら下げられて揺れているピニャータたちにじっと眺めいるセシ。まわりの音は一切消え、セシにはピニャータたちのおしゃべりが聞こえてきます。「わたしにして!」 「あたしを選んでよ!」 ……あこがれのピニャータの前でかわいらしい自分だけの世界に浸り、ピニャータたちの声に耳を傾けるセシの姿の、なんと愛らしいことなんでしょう。そして、自分の名を呼ぶお母さんの声ではっと我に返り、再び市場の人々のにぎやかな声や音が聞こえてくる・・・・。
ほかにも、小さい女の子の気持ちを描いて共感を呼ぶ場面がたくさん出てきます。公園の冷たい水の上に浮かんでいたアヒルの気持ちを知りたくて、自宅のおふろに水を張って飛び込んでみるセシ。こちらまで「キャッ!」と声を上げたくなるほど、彼女が味わったと同じ冷たさが伝わってしまう!
ちょっとだけ、小さい赤ちゃんを抱っこさせてもらうときの、おねえさんっぽい優しげなまなざし。いとおしむような、おしゃまな手つき。肩に入った力の、緊張と優しさからくる微妙な感じまでもが読み取れてしまうほど、エッツの目は細やかです。
それから、首がぐらぐら動くお人形のガビナを抱いて一生懸命話しかけるときの様子もとてもとても愛らしくて、セシはエッツのよく知った実在の女の子をそのまま描写したのではないかと思われてしまうほど、なにもかもが実に生き生きとしているのです。
さて、いよいよ待ちに待ったポサダの日。古くから伝わる衣装を着飾って、行列の先頭を進むセシですが、いざピニャータ割りが始まると……。割られたくないんです。割りたくないんです。セシのピニャータ。大きな金色の星の形をした、セシの選んだピニャータ…。セシは木の陰に立って、手で顔を覆っています。「みんなに、あたしのピニャータを割らせないで!」
セシの願いも空しく、星のピニャータは割られてしまうのですが、そのときセシの耳にはささやく呼び声が聞こえてきます。「セシ! セシ!」 …見上げれば、セシが隠れていた木の上に、ひときわ輝く星が…。
最後の最後まで、エッツの目は優しい。セシの内面も、お母さんとのやりとりも、お手伝いさんとのやりとりも、誇張も何もなくて、さもありなんと思わせる自然さで描かれているのがとても好印象です。そして、どのページもグレー一色で繰り広げられる中に、黄色とオレンジ、赤、ピンクだけが与えられている点も、メキシコらしさがたちのぼり、とても効いています。