祖父母との思い出がない私は
このおじいちゃんに父をみます。
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」と言ってもらったわけではないけれど
存在そのものが「だいじょうぶ」その言葉でした。
それなのに―。
28年前
治ることのない病で入院していた父が
ポツリともらした「もうだめなのかな。」
やがて父をなくしてしまうという現実に
とまどい、おそれ、自分のことでいっぱいだった私は
聞こえぬふりで、励ますことができなかった。
あの時
「だいじょうぶ」でなんかあるはずはなくても
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」と
何度も何度も言ってあげればよかった。
そう思えて悔やまれます。
だから、「ぼく」がおじいちゃんのベッドの傍らで
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」と言う場面に
少しの後ろめたさを感じながら
鼻の奥がツンとなってしまう。
そして去年、義母が入院、手術をしました。
お見舞いに私はこの本を贈りました。
―今、義母は元気です。
悔やまれることがもうひとつ。
もうちょっとだけ長く生きて
私の子どもたちに
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」って
言ってやってほしかったよ、お父さん。