おばあさんの死がきっかけで、敬輔はおばあちゃんが土手の桜並木の話をしてくれた昔のことを思い出します。そして、突然現れた河童につれられ、時間を超える扉を通って、おばあちゃんが子どもだったころの昔へさかのぼるのでした。
おばあちゃんの死を知らされてから、敬輔は、家が近くなのに、なぜそばにいなかったのだろう、桜の花が大好きだったおばあちゃんをなぜひとりで死なせてしまったのだろうと、思い悩みます。
子どもを持つ父親として、この敬輔の言葉は私の胸にグサリと刺さりました。私は車で10分くらいのところにある実家に住む両親になかなか会いにいきません。もし何かが起こったとき、私自身は敬輔と同じ、あるいはそれ以上に苦しむでしょう。しかし、敬輔と同じ気持ちを抱くほど、息子や娘はおじいちゃんおばあちゃんの思い出をもっているでしょうか。
死は誰にでも訪れるものです。でも思い出はいつでも心のなかから引き出すことができます。この引き出しの中身を作ってやることが、息子としての自分、そして父親としての自分の役割ではないかと改めて思いました。
「桜がなけりゃ、植えればいい」と昔に戻った先で出会った少女に敬輔は言われます。そうなんですね、また植えればいい。思い出も作ればいい。
68ページしかない小さな本ですが、小学校中・高学年の子どもに読んでもらいたい一冊です。