「虔十公園林」は、出版されているものを手を尽くし、読み比べました。
勿論、文は変わりませんが、高田勲先生の絵がこの作品に一番しっくり合っているように感じ、この出版社のものをお勧めしたいと思います。
さらに、カバー折り返しの賢治の
“わたくしはたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。・・・中略・・・わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません”
という文章に、感動しました。
お話は、知的障害を抱えた主人公虔十(けんじゅう;賢治の当て字という見解もあります)が、人生でたった一度ねだった杉の苗。
彼の懸命な植林が実を結び、後に都市化が進み田畑が消えゆく中、彼の形見として親が残しました。
この地を久々に訪れた、この杉林で幼い頃遊んだ今や名士となっている人物の言葉を借りて、「・・・ああまったくたれがかしこくて、たれがかしこくないかはわかりません。・・・ここに虔十公園林と名をつけて、いつまでもこのとおり保存するようにしては」と言わせています。
人間も自然によって生かされてきたこと。
自然を畏れ、その力を崇め、自分たちの上にあるものとして身を慎しむべき人間の姿勢を訴える、地球の未来への警鐘として書かれた作品です。
“人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている”ということを改めて気付かされる良書です。