「障害者」という言葉を使うのには個人的に抵抗があります。
ハンディキャップのある人の気持ちを理解しようと努める態度自体は
とてもいいと思います。
私の学生時代、ほかの学科の学生達が心理学か何かの授業で
2人組を作って、1人が目隠しをした相方の手を引いて
地下鉄に乗って、目的地を往復するという試みをしていました。
この試みによって「目が見えないと不便である」という実体験は出来ると思うものの、
どこまで視力を失った人たちの気持ちを慮ることが出来るでしょう。
目の見えない人の中には生まれつきの方もいらっしゃれば
病気や不慮の事故に起因して途中から…という方もいらっしゃいます。
視力がなくなった時の気の遠くなるような絶望感まで思いを巡らせることが
果たして出来ているのでしょうか。
私の叔母は生まれつき聴力がありません。
叔母が2歳の頃、医師からそう宣告された時の衝撃的なショックな気持ちを
今は亡き祖母が生前、回想しながら何度も私に語ってくれました。
祖母のつらい気持ちや苦労、そして叔母の不便さや大変さは
身内として間近で見聞きして多少は理解しているつもりでいました。
でもこの作品を読んで、私の微々たる理解など理解のうちには入らないのだと
改めて真摯に受け止めています。
この作品は平成18年度の課題図書(低学年用)に指定されました。
図書ボラのメンバーさん達とこの作品について意見交換したのですが
低学年のお子さんが読むには内容が重すぎ、また難しすぎるというのが
私たちの見解です。決して軽々しく読んで欲しくありません。