結局、モミの木は幸せだったのでしょうか?
幸せだったそのときに自分がどんなに幸せだったか気づけなかったから不幸だったのか、
それとも、あとからでも気づくことができたから幸せだったのか…。
望み通りクリスマスツリーとして飾られることができたから幸せだったのか、
たった一晩飾られたあとは放り出され、最後にはたきぎとして燃やされてしまうのは不幸なことなのか…。
どんなに考えても答えは出ませんが、それが当たり前だと思います。
同じ境遇でもそれを幸せと感じるか不幸せと感じるのかはその人次第。
その人が幸せかどうかということは、まわりが決めることではなく、
その人自身の心の持ちようでしか決められないことだからです。
(モミの木は人ではありませんが。)
クリスマスというと、プレゼントをもらっておいしいケーキやご馳走を食べて楽しく過ごす、
というイメージが一般的だと思います。
でも本来の意味は、イエス・キリストの降誕をお祝いするということ。
それはすべての人が愛され、許されている、ということの証しでもあります。
キリスト教に関心のない人にしてみればどうでもいいことなのかもしれませんが、
『今、自分に与えられているものに気づいて感謝する。』
そんなことの大切さについて、この切ないお話をきっかけに
静かに考えてみるクリスマスもたまにはいいのではないかと思うのです。
ただこのお話、簡単に言ってしまえば、
『恵まれた環境に気づくことができずに外の世界ばかりをうらやんでいたモミの木が、
自分がどんなに恵まれていたのか気づいた時にはすでに遅く、結局悲しい最後を迎える』
…ということになりますが、単純にそうとらえてしまうと救いがないような気がします。
内容が深いだけに、いろいろなことを読み取る力のついてきた高学年のお子さんに読んであげたい本だなと思いました。
小さい子たちには、もう少しお預けにしておこうかと思います。