小説『月光の夏』に感動しました。映画『月光の夏』には涙が止まりませんでした、そしてこの絵本にはその時に感じた悲しみ、戦争体験者のやりきれなさ、生き残った者としてのつらさ、戦争の傷を忘れようとして生きるせつなさが凝縮されていました。
これは、原作者の毛利恒之さんの思いの結晶だからに他ならないでしょう。
音楽学校の学生が、特攻隊員として出撃する直前に学校のピアノで弾いたベートーヴェンの「月光」。
これから死にに行く若者が引いたピアノ曲への思いは、絵本を見ていても調べが伝わってきます。
小学校の先生が、ドイツ製のピアノ「フレッペル」に忘れなられない記憶が、ピアノの捨てられると知った時に、伝えなければいけないこととして蘇ります。
先生の話が感動を呼び、ピアノは保存されることになりました。
もう一つ巻き起こったのが、その特攻隊員探し。
美談がでっち上げのように思われ、社会の目が冷淡に変って行く様も感じます。
そして、事実を掘り起こしていくと、特攻隊員の死と生き残った者の悲しみが浮かび上がってきます。
生き残った者は、逃げ戻った者として社会の冷たさを足かせのようにして生きていかねばならなかった。
理不尽な理由であっても、社会を敵に回した時の厳しさは過去の話ではありません。
生死を分けた親友の妹と結婚して、過去を封印して生きた45年。
先生との再会、懐古は氷が解けていくような自分解放に感じました。
事実と知ると、多分冷静に読むことのできない絵本です。
しかし、この絵本は戦争の悲惨を忘れないためにも、この本の発信している多くの問題について、自分を振り返るためにも残さなければならない絵本だと思います。