さくまゆみこさんは新刊があれば必ず手にする訳者さんの一人です。
この本は、絵がマイケル・フォアマンということもあり読んでみたくなり、作をみると最近読んだことがある『世界で一番の贈りもの』のマイケル・モーバーゴでもありました。
これだけそろい踏みするとやはり読みたくなり早速借りてきました。
戦争をどうとえるのかはそれぞれですし、戦争を子どもたちに伝えていくには?と考えると最近とてもわからなくなるのです。
一つには過去の過ちを二度と繰り返さないことということはあると思います。
でも、それだけではないはず。軽々しく語ってはいけないのでしょうけれど、それでも読んだその時に思ったことは残しておきたいとそんな風に思いました。
もし自分がナチスの収容所でこのような立場におかれたら、もし自分が好きな楽器で他の人よりも命を長らえるような過酷な場面に追いやられたらどうするのか?
場面を追いながらいろいろと考えました。
『モーツァルトはおことわり』、こう訳したところにさくまさんのセンスを感じました。
この話はその言葉に集約されるからです。
同じ時期に、ピーター・シスの自伝絵本『かべ』を読みました。
好きなことを貫きとおすために亡命をするのも一つの選択であり、過酷な現実を封印するために好きなものから離れるのもまた一つの人生。
戦争の時だけが乱世ではなく、いつの世も乱世であるという言葉を読んだことがあります。
生き続けていれば、背負いきれない荷物を背負うことがあり、そこからどう生きていくのか?それを常に問いかけてくるのかが文学なのかもしれないと思いました。
とりとめのない感想になりしたが、今回は子どもとではなく私一人で読みました。
息子と読む時期についてはまた考えたいです。